毎日の生活で目にしているのに、詳しくは知らないものは意外と多くあります。ゴミ箱もその一つではないでしょうか。「ごみを捨てるための箱」と考えればそれまでですが、その歴史をたどってみると、現在の姿からは想像しにくい意外なエピソードが出てきます。
第123回雑学調査レポートでは、そんな「ゴミ箱」に関する雑学をご紹介していきます。
フランス語の「poubelle」は人の名前から生まれた
日本語では、不要なものを捨てる容器を「ゴミ箱」と呼びます。英語では「trash can」や「garbage can」などが使われますが、フランス語でゴミ箱を表す代表的な言葉が「poubelle」です。
「poubelle」は、日本語では「プベル」に近い発音をします。
この単語だけを見ると、もともと「ごみ」や「箱」を意味していたフランス語から生まれたように感じるかもしれません。しかし、実際の由来はまったく異なります。
「poubelle」は、19世紀に実在したフランス人の姓から生まれた言葉です。
その人物が、ウジェーヌ・ルネ・プベル「Eugène René Poubelle」です。
フランスの辞書『Larousse』では、「poubelle」という単語が、1883年から1896年までセーヌ県知事を務めたウジェーヌ・ルネ・プベルの名前に由来すると説明されています。
また、『Centre National de Ressources Textuelles et Lexicales』で公開されている『Dictionnaire de l’Académie française』でも、プベルの名前が「poubelle」の語源として紹介されています。
つまり、現在のフランスで日常的に使われている「poubelle」という言葉には、100年以上前に活躍した行政官の姓がそのまま残っているのです。
「ゴミ箱」の名前になったウジェーヌ・プベルとは?
ウジェーヌ・ルネ・プベルは、1831年にフランスのカーンで生まれ、1907年にパリで亡くなった行政官です。
『Bibliothèque nationale de France』の記録によると、プベルは1883年から1896年までセーヌ県知事を務めました。
当時のセーヌ県にはパリが含まれていました。そのため、セーヌ県知事は現在のパリの都市行政にも深く関わる重要な役職でした。
プベルの名前が現在まで残ることになった大きな理由が、パリのごみ問題です。
19世紀のパリでは、現在のように家庭ごみを決められたゴミ箱へ入れ、決められた方法で回収する仕組みが十分に整っていませんでした。
『Ville de Paris』によると、家庭から出たごみが道路へ捨てられることもありました。
その道路上のごみから、まだ使えそうなものや売れそうなものを探していたのが「chiffonnier(シフォニエ)」と呼ばれる人々です。日本語では「くず拾い」や「廃品回収人」に近い存在と考えると分かりやすいでしょう。
彼らはごみの中から紙や布、金属など価値のあるものを拾い、それを売って生活していました。
現在でいえば、捨てられたものから再利用できる資源を回収する仕事に近い部分があります。
こうした時代に、家庭ごみの出し方を大きく変えようとしたのがプベルでした。
1883年、家庭ごみを箱へ入れるルールが作られた
大きな転機となったのが1883年11月24日です。
この日、プベルは家庭ごみの収集方法に関する規則を定めました。
『Ville de Paris』が紹介する資料によると、家庭から出たごみを道路へ直接捨てるのではなく、決められた容器へ入れてから回収する仕組みが定められました。
ここでポイントになるのは、住民が自分で好きな容器を用意するだけの制度ではなかったことです。
建物の所有者側に対して、住民が家庭ごみを入れるための容器を用意することが求められました。
つまり、それまで道路上へ直接出されることもあった家庭ごみを、いったん専用の箱へまとめ、そこから回収する方式へ変えようとしたのです。
現在ではごく普通に見える仕組みですが、19世紀のパリでは都市のごみ処理方法を大きく変える制度でした。
1884年にはごみ収集の仕組みがさらに整えられた
ごみに関する制度は、1883年11月の規則だけですべて完成したわけではありません。
翌1884年にも、ごみ収集の仕組みが整えられていきました。
『Ville de Paris』が公開しているパリの清掃事業に関する資料では、1884年3月7日の規則によって、ごみの回収方法が再編されたことが紹介されています。
ごみの運搬には請負業者が関わり、専用の車両で回収する仕組みも整えられていきました。
また、『Dictionnaire de l’Académie française』では、プベルについて、1884年の規則によってパリでゴミ箱の使用を義務付けた人物として説明しています。
そのため、この時代の変化は「1883年11月に新しい制度が始まり、その後の議論や修正を経て1884年にさらに具体化された」と考えると理解しやすいでしょう。
家庭ごみを専用の容器へ入れることと、それを決められた仕組みで回収することが、行政のルールとして整えられていったのです。
プベルは「ゴミ箱そのもの」を発明したわけではない
ここでは、一つ注意したい点があります。
ウジェーヌ・プベルは、世界で初めてゴミ箱という物体を発明した人物ではありません。
ごみを箱や容器へ入れるという考え方そのものは、プベル以前から存在していました。
プベルが歴史に残した大きな功績は、家庭ごみを決められた容器へ入れ、一定の方法で回収する仕組みを都市行政のルールとして進めたことです。
つまり、重要なのは「箱を発明したこと」ではなく、「ゴミ箱を利用する都市の収集制度を広く定着させようとしたこと」にあります。
この政策がパリの人々の生活に大きな影響を与えたため、やがてプベル本人の姓がゴミ箱そのものを表す言葉として使われるようになりました。
「プベルの箱」が「poubelle」という普通の言葉になった
新しいごみ収集制度が導入されると、人々はプベルが使用を求めたごみ用の容器を、彼の名前と結び付けるようになりました。
その結果、人名だった「Poubelle」が、しだいにゴミ箱を表す言葉として使われるようになります。
そして現在では、小文字で「poubelle」と書けば、フランス語で一般的な「ゴミ箱」という意味になります。
フランス語を話す人が「poubelle」と言うとき、毎回ウジェーヌ・プベルという人物を意識しているわけではありません。
それほど普通の単語として定着しています。
人の名前が、後になって一般的な物の名前として使われるようになることは、ほかの言葉にも見られます。
しかし「poubelle」の面白いところは、現在でも毎日の生活で使うゴミ箱の名前に、19世紀の行政官の姓がそのまま残っていることです。
一つの単語の中に、当時のパリで進められた都市改革の歴史が残っていることになります。
19世紀のパリでは「ごみを分ける」という発想もあった
プベルが進めたごみ政策には、さらに興味深い部分があります。
家庭ごみを単に一つの箱へ入れるだけではなく、ごみを種類によって分けて扱おうとする考え方もありました。
当時の制度を紹介する歴史資料では、複数の容器を使い、ごみを種類ごとに分ける方法が検討されていたことが分かります。
資料によって分類方法の説明には違いがありますが、腐敗しやすい家庭ごみのほか、紙や布、ガラス、陶器、カキの殻などを分けて扱う仕組みが紹介されています。
現在の家庭ごみでは、燃やすごみ、紙、びん、缶、プラスチックなどを分けて捨てることが一般的です。
そのため、ごみの分別そのものは特別なことには感じにくいでしょう。
しかし、プベルがごみ収集制度を進めたのは1880年代です。
100年以上前のパリですでに、すべてのごみを同じように扱うのではなく、種類によって分けようとする発想が行政制度の中に現れていました。
ただし、当時考えられた分別方法が、そのまま現在のような形で広く定着したわけではありません。
制度を作ることと、実際に多くの住民がルールを守り続けることは別の問題です。
それでも、ゴミ箱による回収だけではなく「ごみを種類ごとに扱う」という考え方まであったことは、当時としては非常に興味深い点です。
ゴミ箱の導入には反対する人もいた
現在では、家庭ごみをゴミ箱へ入れて決められた方法で回収することは、ごく普通の仕組みに見えます。
しかし、新しい制度が導入された当時、すべての人が歓迎したわけではありません。
一つの問題が、容器を用意するためのお金です。
新しいごみ箱を建物ごとに設置するには費用がかかります。容器を用意する責任を負った建物所有者にとっては、新たな経済的負担になりました。
さらに、大きな影響を受けたのが「chiffonnier」です。
彼らは、それまで道路上へ出された家庭ごみの中から、再利用したり販売したりできるものを探して生活していました。
ところが、家庭ごみが容器へ入れられ、決まった方法で回収されるようになると、道路上のごみを自由に探すことが以前より難しくなります。
そのため、ごみ収集制度の変更は「chiffonnier」の仕事にも影響しました。
街を清潔にするという目的だけを見れば、新しい制度は衛生環境を改善するための改革でした。
一方で、制度が変わることで費用を負担する人が生まれ、それまでごみの回収や再利用によって生活していた人々の仕事も変化します。
現在では当然に見える社会のルールでも、導入された当初にはさまざまな立場の人が影響を受けていたのです。
「poubelle」は現在もフランス語の日常に残っている
プベルがセーヌ県知事に就任したのは1883年です。
それから140年以上が経過した現在でも、「poubelle」はフランス語の一般的な単語として使われています。
しかも、この言葉が使われるのはゴミ箱だけではありません。
たとえば「sac-poubelle(サック・プベル)」という言葉があります。
「sac」はフランス語で袋を意味するため、「sac-poubelle」はごみを入れる袋、つまりゴミ袋を表します。
『Larousse』でも、家庭ごみを入れる袋という意味で「sac-poubelle」が掲載されています。
また、「camion-poubelle(カミオン・プベル)」はごみ収集車を表す言葉です。「camion」はトラックを意味します。
『Dictionnaire de l’Académie française』でも、「poubelle」について、家庭ごみを入れる容器だけでなく、「sac poubelle」や「camions poubelles」といった表現が紹介されています。
もともとは一人の行政官の姓だった「Poubelle」が、まずゴミ箱の名前となり、さらにゴミ袋やごみ収集車など、ごみ処理に関係する言葉にも広がったのです。
普段何気なく使われている言葉でも、その由来を調べると、当時の社会の姿が見えてくることがあります。
「poubelle」という一つの単語からも、19世紀のパリが抱えていたごみ問題、都市の衛生改革、行政による収集制度の整備、そして「chiffonnier」と呼ばれた人々の暮らしまでたどることができます。
現在のフランスで毎日のように使われているゴミ箱の名前には、19世紀のパリを変えようとしたウジェーヌ・ルネ・プベルの名前と、当時の都市改革の歴史が残っているのです。
まとめ
- フランス語でゴミ箱を意味する「poubelle」は、19世紀に実在した行政官ウジェーヌ・ルネ・プベルの姓に由来する
- プベルは1883年から1896年までセーヌ県知事を務め、パリのごみ問題の改善に関わった
- 1883年11月24日の規則では、家庭ごみを道路へ直接捨てず、決められた容器へ入れて回収する仕組みが定められた
- 1884年にはごみの回収方法がさらに整備され、専用車両などを使った収集制度が進められた
- プベルはゴミ箱そのものの発明者ではなく、専用容器を使った都市のごみ収集制度を行政のルールとして広めた人物
- プベルの政策が広く知られたことで、姓の「Poubelle」が次第にゴミ箱を意味する普通名詞「poubelle」として定着した
- 19世紀のパリでは、家庭ごみを容器へ入れるだけでなく、種類ごとに分けて扱おうとする考え方も存在した
- 新しいごみ収集制度には、容器を用意する建物所有者や、ごみから資源を回収していた「chiffonnier」への影響もあった
- 現在でも「poubelle」はフランス語の日常語として使われ、「sac-poubelle」や「camion-poubelle」といった表現にも残っている
フランスで当たり前のように使われている「poubelle」という言葉。その正体は、かつてパリのごみ収集制度を大きく変えたウジェーヌ・ルネ・プベルの姓でした。
人の名前が、100年以上たった現在も「ゴミ箱」という日常語として使われ続けているのです。いつも何気なく目にしているゴミ箱も、その歴史を知ると少し違って見えてくるのではないでしょうか。
参考文献
- Ville de Paris「Ces métiers oubliés du Paris d’autrefois」
- Bibliothèque nationale de France「Poubelle, Eugène-René 1831-1907」
- Larousse「Définitions : poubelle」
- Centre National de Ressources Textuelles et Lexicales「POUBELLE : Définition de POUBELLE」
- Ville de Paris「La propreté à Paris depuis le Moyen-âge」

