世界最古の絨毯は墓泥棒のおかげで残った!?【2500年前の絨毯に隠された驚きの歴史】

普段、何気なく足元に敷いている絨毯。その一枚に、どれほど長い歴史があるのかを考えたことはあるでしょうか。身近な日用品にも、私たちの想像を超えるような興味深い物語が隠されていることがあります。

第158回雑学調査レポートでは、そんな「絨毯」に関する雑学をご紹介していきます。

目次

約2500年前に作られた世界最古の絨毯「パジリク絨毯」

私たちの身近にある絨毯は、いつごろから使われていたのでしょうか。

実は、今から約2500年前に作られた絨毯が、現在もほぼ完全な形で残されています。

その絨毯は「パジリク絨毯」と呼ばれ、ロシア南部のアルタイ山脈で発見されました。

パジリク絨毯は、現存する世界最古の「パイル絨毯」として知られています。

パイル絨毯とは、表面に短い毛がたくさん並んでいる絨毯のことです。現在のカーペットにも、同じような構造のものが数多くあります。

パジリク絨毯も羊の毛から作られた糸を使い、細かな毛足を作りながら模様を表現しています。

『Guinness World Records』によると、パジリク絨毯が作られたのは紀元前5〜4世紀ごろで、約2400〜2500年前のものとされています。『エルミタージュ美術館』も同様の年代を示しています。ただし、埋葬された時期をもう少し新しく考える研究もあり、正確な年代には議論が残っています。

当時は古代ギリシャやペルシャなどで、さまざまな文化が発展していた時代です。日本では縄文時代の終わりから弥生時代にかけての時期にあたります。

そのような大昔に、現代の高級絨毯にも通じるほど細かな模様を持つ絨毯が作られていました。

大きさは縦183センチ、横200センチです。約2メートル四方の大きさがあり、現在の家庭で使う絨毯と比べても、それほど小さくありません。

さらに驚くのは、その保存状態です。

パジリク絨毯には一部に欠けた部分や傷みがありますが、全体の形が残っており、人物や動物の模様も確認できます。

羊毛で作られた絨毯が、これほど長い年月を経ても残っているのは非常に珍しいことです。

なぜ、パジリク絨毯だけが長い時間を乗り越えることができたのでしょうか。

パジリク絨毯は1949年にシベリアの古代の墓から発見された

パジリク絨毯が発見されたのは、1949年のことです。

ロシアの考古学者セルゲイ・ルデンコが、アルタイ山脈にある「パジリク5号墳」を発掘した際に見つかりました。

パジリク5号墳は、古代の有力者を埋葬したと考えられている墓です。

この地域には「クルガン」と呼ばれる墓が数多く残されています。

クルガンとは、地面に掘った墓の上に、土や石を高く積み上げて作ったものです。日本の古墳と同じように、地上に盛り上がった部分があることが特徴です。

パジリク5号墳の内部には、木材を組み合わせて作った埋葬室がありました。

そこには亡くなった人物とともに、馬や馬具、織物などが納められていました。

古代には、亡くなった人物の墓に、身の回りの道具や貴重品を一緒に納める習慣がありました。このような品物を「副葬品」と呼びます。

パジリク絨毯も、その副葬品の一つだったのです。

パジリクの墓を造った人々は、馬と深く関わりながら生活していた遊牧民だったと考えられています。遊牧民とは、家畜を育てながら、季節などに合わせて生活する場所を移動する人々のことです。

パジリクの遺跡から見つかった馬具や織物は、当時の人々がどのような暮らしをしていたのかを知る貴重な手がかりとなっています。

しかし、考古学者たちがこの墓を発掘したとき、内部には不思議な状態で残された品物がありました。

羊毛や木材など、本来なら長い年月の間に傷みやすいものが、比較的良好な状態で保存されていたのです。

その理由を調べると、墓が古代に盗掘されていたことが関係していると分かりました。

世界最古の絨毯が残った理由は「墓泥棒」と「氷」にあった

墓泥棒が開けた穴から墓の中に水が入り込んだ

パジリク絨毯が埋められていた墓は、考古学者に発見されるよりもずっと前に、墓泥棒に荒らされていました。

墓泥棒とは、古い墓を掘り返し、中にある貴金属や貴重品などを盗む人のことです。

パジリク5号墳でも、墓泥棒が墓の内部に侵入し、価値のある品物を持ち去ったと考えられています。

ところが、墓泥棒たちはパジリク絨毯を持ち去らず、そのまま残していきました。

そして、このときの盗掘が、絨毯の保存に思いがけない影響を与えることになります。

『Guinness World Records』によると、墓泥棒たちは墓に穴を開けて侵入したあと、その穴をふさがずに立ち去ったとされています。

その結果、墓の内部には外から水が入り込むようになりました。

アルタイ山脈は、冬になると非常に寒くなる地域です。

墓の中に入り込んだ水は、厳しい寒さによって凍りつきました。

さらに、地中の低温環境によって氷が長い間残るようになり、墓の内部にあった絨毯やその他の副葬品を包み込んだと考えられています。

つまり、墓泥棒が開けた穴がきっかけとなり、墓の内部に氷ができる条件が整ったのです。

氷が天然の冷凍庫となって絨毯を守った

通常、羊毛で作られた絨毯を何百年、何千年も地中に埋めておくと、次第に傷んでいきます。

その大きな原因の一つが、微生物や虫などによる分解です。

微生物とは、細菌やカビなど、肉眼では見えないほど小さな生き物のことです。こうした生き物の働きによって、羊毛などの自然由来の素材は少しずつ分解されます。

しかし、気温が低くなると、微生物の活動は弱まります。

特に地中が長期間凍った状態になると、羊毛などが分解される速度は大幅に遅くなります。

パジリク5号墳では、墓の内部にできた氷と、アルタイ山脈の寒冷な環境が、絨毯を傷みから守る役割を果たしたと考えられています。

まるで天然の冷凍庫に入れられていたような状態です。

そのおかげで、絨毯の形だけでなく、細かな模様や色彩まで現代に残ることになりました。

もちろん、氷ができたからといって、すべてのものが完全に保存されるわけではありません。パジリク絨毯にも傷みはありますが、羊毛製品としては驚くほど良好な状態で発見されました。

ここで興味深いのは、墓泥棒の行動が、結果的に貴重な文化財を守ることにつながった点です。

本来、墓泥棒は歴史的な遺物を盗んだり、壊したりする存在です。

しかし、パジリク絨毯の場合は、墓泥棒が残した穴から水が入り込み、その水が凍ったことが、絨毯の保存に役立ったとされています。

もし墓泥棒が侵入していなければ、墓の中に水が入り込む条件も違っていた可能性があります。

約2500年前の絨毯が現代まで残った背景には、盗掘という人間の行動と、厳しい寒さという自然条件が重なった、非常に珍しい歴史があったのです。

パジリク絨毯には馬や鹿などの細かな模様が描かれている

パジリク絨毯の驚くべき点は、保存状態の良さだけではありません。

約2500年前に作られたとは思えないほど、複雑で美しい模様が表現されていることも大きな特徴です。

絨毯の中央には、24個の四角い枠が並んでいます。

それぞれの枠の中には、花を思わせる模様が描かれています。これは「ハスのつぼみ」を簡単な形にしたものと考えられています。

さらに、中央の模様を囲むように、5本の帯状の装飾が配置されています。

そこには、馬や鹿、人物、想像上の生き物などが描かれており、当時の人々が持っていた高いデザイン技術を確認できます。

馬と人物の模様には古代の暮らしが表れている

特に目を引くのは、馬と人物が描かれた模様です。

絨毯の外側に近い部分には、28人の人物が馬とともに並んでいます。

馬に乗っている人物もいれば、馬から降りて手綱を引いている人物もいます。

馬の姿だけでなく、人物の服装や身につけているものまで細かく表現されていることが特徴です。

当時のアルタイ地方では、馬が人々の生活にとって重要な存在でした。

馬は移動手段として役立つだけでなく、家畜の管理や戦いなど、さまざまな場面で使われていたと考えられています。

パジリクの墓からも馬や馬具が発見されており、人々と馬の結びつきが強かったことが分かります。

絨毯に描かれた馬の模様も、こうした古代の文化を知るための貴重な手がかりとなっています。

鹿や伝説上の生き物も描かれている

馬と人物のほかにも、パジリク絨毯には動物の模様が数多く使われています。

その一つが、列になって歩く24頭の鹿のような動物です。

これらは「ダマジカ」と呼ばれる種類の鹿を表現したものと考えられています。

体には斑点があり、角や足の形まで丁寧に描かれています。

さらに、絨毯の内側と外側には「グリフィン」と呼ばれる伝説上の生き物も描かれています。

グリフィンとは、ワシやライオンなどの特徴を組み合わせた想像上の生き物です。

古代のさまざまな地域の美術に登場し、彫刻や装飾品などにも使われていました。

パジリク絨毯では、こうした動物や想像上の生き物が、決まった間隔で規則正しく並んでいます。

動物を一つずつ表現するだけでなく、絨毯全体の模様が美しく見えるように配置されているのです。

約2500年前の絨毯には鮮やかな色も使われていた

パジリク絨毯には、さまざまな色の羊毛が使われています。

『エルミタージュ美術館』の資料によると、赤を中心に、濃い青や緑、黄色などの色が使われていました。

現在は長い年月の影響で色あせていますが、作られた当時は、今よりも鮮やかな色彩だったと考えられています。

当時は現在のような化学染料が存在しなかったため、職人たちは植物などから得られる天然の染料を利用していました。

そのような材料を使いながら、色の異なる羊毛を組み合わせ、複雑な模様を作り上げていたのです。

しかも、パジリク絨毯には、色を美しく染めるための工夫も施されていた可能性があります。

2500年前には羊毛の色を長持ちさせる染色技術があった

2021年、科学誌『Scientific Reports』に、パジリク絨毯の染色技術を調べた研究が発表されました。

研究者たちが注目したのは、絨毯の羊毛に残されている色です。

パジリク絨毯は約2500年もの間、墓の中に埋められていました。それにもかかわらず、現在も赤や黄色などの色を確認できます。

研究者たちは、なぜこれほど長い間、色が残っているのかを詳しく調べました。

調査には、X線を使って羊毛の繊維を分析する方法が使われています。

簡単にいえば、羊毛の内部を詳しく調べ、色を定着させるのに関係する成分が、どこまで入り込んでいるのかを確認したのです。

その結果、パジリク絨毯の羊毛には、染色前に「発酵処理」をした羊毛と似た特徴が見つかりました。

発酵とは、微生物の働きを利用して、物質の性質を変えることです。食品では、ヨーグルトや味噌などを作るときにも利用されています。

羊毛の場合は、発酵処理によって繊維の表面の状態が変わり、染料が内部に入り込みやすくなります。

染料が表面だけでなく、繊維の奥までしみ込むことで、色を長持ちさせる効果が期待できます。

研究者たちは、パジリク絨毯を製作した職人たちも、こうした発酵処理を利用していたと考えています。

つまり、約2500年前の職人たちは、羊毛に色をつけるだけでなく、美しい色を長く保つための技術まで使っていた可能性があるのです。

これは、古代の染色技術が想像以上に発達していたことを示す興味深い発見となりました。

パジリク絨毯には125万個以上もの結び目が作られている

パジリク絨毯の模様は、どのように作られたのでしょうか。

実は、絨毯の表面にある人物や動物は、絵の具で描かれたものではありません。

色の異なる羊毛の糸を一本ずつ結びつけ、その組み合わせによって模様を作っています。

この方法は、現在の手織り絨毯にも使われています。

パジリク絨毯で用いられているのは「対称結び」と呼ばれる技法です。

これは、絨毯の土台となる縦糸2本に対して、別の糸を左右対称に結びつける方法です。

結びつけた糸の先端が絨毯の表面に出ることで、細かな毛足が作られます。

この技法は「トルコ結び」とも呼ばれています。ただし、技法の名前だけで、パジリク絨毯が現在のトルコで製作されたと判断できるわけではありません。

わずか1センチ四方に約36個の結び目がある

『エルミタージュ美術館』の公式資料によると、パジリク絨毯には、縦10センチ、横10センチの範囲に約3600個の結び目が作られています。

これは、縦1センチ、横1センチの小さな範囲に、約36個の結び目がある計算です。

そして、絨毯全体の大きさは縦183センチ、横200センチもあります。

全面に同じ密度で結び目があるとして単純計算すると、約132万個になります。

実際の結び目の総数には推定の幅がありますが、『エルミタージュ美術館』の公式収蔵品データベースでも、125万個以上あると説明されています。

これほど多くの結び目を、古代の職人たちは手作業で作っていました。

しかも、ただ糸を結びつけるだけではありません。

人物や馬、鹿などの模様を表現するためには、結び目ごとに糸の色を変え、位置を正確にそろえる必要があります。

たとえば、馬の体を赤い糸で表現し、周囲の背景を別の色にする場合には、模様の境目に合わせて使う糸を変えなければなりません。

現代のデジタル画像が、小さな点の集まりで作られているのと少し似ています。

パジリク絨毯では、一つひとつの結び目が、模様を作るための小さな点のような役割を果たしているのです。

このような作業には、高い技術と根気が必要だったと考えられます。

さらに、パジリク絨毯には、すでに完成度の高い織りの技術が使われています。

そのため、研究者たちは、パジリク絨毯が作られるよりも前から、絨毯作りの技術が長い時間をかけて発達していたと考えています。

約2500年前の職人たちは、すでに受け継がれてきた高度な技術を使って、この絨毯を完成させていたのでしょう。

パジリク絨毯は古代ペルシャで作られた?現在も残る製作地の謎

パジリク絨毯は、ロシアのアルタイ山脈で発見されました。

しかし、実際にその場所で作られたのかどうかは、現在もはっきりしていません。

研究者たちの間では、古代ペルシャや中央アジアなど、いくつかの地域が製作地の候補として考えられています。

古代ペルシャで作られたという説

有力な説の一つが、古代ペルシャとの関係です。

古代ペルシャとは、現在のイランを中心に栄えた古代の国家や文化を指します。

パジリク絨毯が作られたとされる時代には、現在のイラン周辺に「アケメネス朝ペルシャ」と呼ばれる大きな国家が存在していました。

この時代のペルシャでは、美しい建築物や装飾品などが数多く作られています。

パジリク絨毯の模様には、そうした古代ペルシャの美術と似ている部分があるのです。

特によく比較されるのが、馬を引いて歩く人物の姿です。

古代ペルシャの都市「ペルセポリス」に残された石の彫刻にも、馬や人物が並ぶ場面が描かれています。

パジリク絨毯の人物や馬にも似た特徴が見られるため、古代ペルシャの文化と関係があるのではないかと考えられてきました。

そのため、絨毯が古代ペルシャ周辺で製作され、遠く離れたアルタイ山脈まで運ばれてきたという説があります。

中央アジアで作られた可能性もある

一方で、パジリク絨毯は中央アジアで作られたのではないかという説もあります。

中央アジアは、現在のカザフスタンやウズベキスタンなどを含む広い地域です。

この地域では古くから遊牧生活が行われ、周辺の地域とも交流がありました。

パジリク絨毯には、古代ペルシャの美術に似た模様がある一方で、中央アジアやシベリアの文化と関係が深いと考えられる動物の表現も見られます。

『Encyclopaedia Iranica』では、絨毯に描かれた動物の特徴などをもとに、中央アジアやシベリアで製作された可能性についても説明されています。

また、『エルミタージュ美術館』も、イランや中央アジアなどとの関係を紹介しており、製作地については複数の説が存在しています。

古代にも、遠く離れた地域の間で品物が運ばれたり、文化が伝わったりすることがありました。

そのため、絨毯にペルシャ風の模様が使われていても、実際に作られた場所がペルシャだったとは限りません。

中央アジアの職人がペルシャの模様を参考にして作った可能性もあります。

約2500年前の絨毯が、どの地域で、どのような職人によって作られたのかは、今も研究が続けられている謎の一つです。

パジリク絨毯よりも古い絨毯は存在する?

ここで気になるのが、パジリク絨毯が本当に世界で最初に作られた絨毯なのかという点です。

パジリク絨毯は「世界最古の絨毯」と紹介されますが、正確には、ほぼ全体の形が残っているパイル絨毯として、世界最古とされるものです。

人類が初めて作った絨毯という意味ではありません。

実際に、パジリク絨毯より古い時代にも、織物や敷物を作る技術があったことが分かっています。

また、アルタイ地方の「バシャダル2号墳」という遺跡からは、パジリク絨毯よりも古いとされる、結び目を使った絨毯の断片が発見されています。

しかし、残されているのは小さな一部分であり、絨毯全体がどのような模様だったのかを知ることは困難です。

それに対して、パジリク絨毯は全体の形や模様が分かるほど良好な状態で残っています。

そのため、古代の人々がどのような絨毯を作り、どのような技術を使っていたのかを調べるうえで、特に重要な資料となっているのです。

世界最古のパジリク絨毯は現在どこにある?

パジリク絨毯は現在、ロシアのサンクトペテルブルクにある『エルミタージュ美術館』に収蔵されています。

『エルミタージュ美術館』は、世界的に知られる大規模な美術館です。

古代の遺物から絵画、彫刻、工芸品まで、さまざまな時代の貴重な文化財を所蔵しています。

パジリク絨毯も、その重要な収蔵品の一つです。

美術館の公式データベースには、1949年にパジリク5号墳から発見され、1950年に美術館へ収蔵されたことが記録されています。

収蔵品番号は「1687-93」です。

また、素材が羊毛であることや、縦183センチ、横200センチという寸法なども掲載されています。

パジリク絨毯が貴重なのは、約2500年前の工芸品が、実物として現在まで残されていることです。

古代の絨毯について書かれた記録や、絨毯を表現した絵だけでは、当時の織り方や染色技術を詳しく知ることはできません。

しかし、パジリク絨毯には実際に使われていた羊毛や結び目が残されています。

そのため、研究者たちは繊維を分析したり、模様を調べたりすることで、当時の技術を詳しく研究できます。

2021年の染色技術に関する研究も、こうした現物が残されていたからこそ可能になったものです。

もしパジリク絨毯が長い年月の間に分解されていたら、現在の私たちは、約2500年前の絨毯がどれほど精巧だったのかを知ることが難しかったでしょう。

その貴重な絨毯が現代まで残された背景には、古代の墓泥棒が開けた穴と、アルタイ山脈の厳しい寒さがありました。

墓泥棒の侵入によって水が入り、その水が凍ることで、羊毛で作られた絨毯が長い間守られたと考えられています。

盗掘という本来なら文化財を傷つける行為が、結果的に世界最古級の絨毯を現代に残すきっかけになったというのは、歴史の不思議な出来事の一つといえるでしょう。

まとめ

  • パジリク絨毯は、約2500年前に作られた現存する世界最古のパイル絨毯
  • 1949年、ロシアのアルタイ山脈にある「パジリク5号墳」から発見された
  • 古代の墓泥棒が開けた穴から水が入り込み、墓の内部で凍結した
  • 墓の内部にできた氷が天然の冷凍庫の役割を果たし、絨毯を約2500年間守った
  • 絨毯には馬や鹿、人物、伝説上の生き物など、複雑な模様が織り込まれている
  • 羊毛の分析から、染料を定着させるために発酵処理が使われていた可能性が判明した
  • 絨毯には125万個以上の結び目があり、古代の高度な織物技術を示している
  • 製作地は特定されておらず、古代ペルシャや中央アジアなどの説がある
  • 現在はロシアの『エルミタージュ美術館』に収蔵されている

古代の墓泥棒たちは、自分たちが残した穴によって、絨毯が数千年後の世界に伝わることになるとは想像もしなかったでしょう。

そんな偶然が重なって残された一枚の絨毯は、今も遠い昔の人々の暮らしや技術を私たちに伝えてくれています。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

この雑学をもっと広めよう!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次