世界初のパーキングメーターは集金目的ではなかった!?【違反すると400倍の罰金】

みなさん、こんにちは!

多くの人々は「パーキングメーター」を、路上駐車の料金を払うための面倒な機械と思っているかもしれません。しかし、この機械が生まれた本当の目的は、ただお金を集めることではなかったのです。

第18回雑学調査レポートでは、そんな「パーキングメーター」に関する雑学をご紹介していきます。

早速見ていきましょう。

目次

パーキングメーターが生まれた背景

舞台は、アメリカ・オクラホマ州のオクラホマシティです。1920~1930年代、自動車の普及によって、都市部の路上駐車が急増しました。オクラホマ州では、1913年に推定約3,000台だった自動車が、1930年には約50万台まで増えたのです。

これによって、中心街で働く人たちが朝から夕方まで商店街の前の駐車スペースを占有してしまう、という問題が発生しました。すると、買い物客や銀行、会社などに用事がある人が近くに車を停められず、店舗の売り上げにも影響が出てしまいます。

当時も駐車時間制限はありましたが、取り締まりはかなりアナログでした。警察官がタイヤにチョークで印をつけ、一定時間後に戻ってきて、車が動いていなければ違反切符を切るという方法です。とはいえ、数千~数万という車が溢れかえるなかで、人間の力だけでは限界がありました。

そこで問題の解決を任されたのが、新聞編集者でありながら地域の交通委員でもあったカール・C・マギーでした。彼はオクラホマシティ商工会議所の交通委員会で、駐車問題をどうにかする役目を担ったのです。

駐車スペースを”時間で貸す”アイデア

マギーの発想はいたってシンプルでした。

1台ごとの駐車スペースに、コイン式のタイマーを置けばいい

お金を入れることで一定時間だけ駐車ができ、時間が切れれば見た目で分かるようにする、という装置を作ることにしたのです。これにより、同じ車が長時間停まり続けるのを防ぎ、商店街を訪れる車の回転を向上させることができます。

マギーは1932年に試作品を作り、同年12月21日に特許を出願しました。その後、オクラホマ州立大学の工学部門と協力し、賞金付きの設計コンテストまで開いて実用化を目指しました。

とはいえ、学生たちの案では十分なものに至らず、最終的にはH・G・スーセン教授と、元学生のジェラルド・A・ヘイルが強力して、実用的なモデルに近づけたとされています。その時の試作機は、”Black Maria(ブラック・マリア=違法駐車した車両をレッカーする警察車両)”と名付けられました。

世界初の実用パーキングメーター設置

初期にパーキングメーターを製造したのは、オクラホマ州の都市タルサにある『MacNick Company』という会社でした。興味深いことに、この会社はもともと、油田でニトログリセリンを爆発させるためのタイミング装置を作っていた会社だったのです。

そうしてついに1935年7月16日、オクラホマシティの当時のFirst Street(ファースト・ストリート)とRobinson Avenue(ロビンソン・アベニュー)の角付近に、世界初の実用的なパーキングメーターが設置されました。『HISTORY』は、この時の最初の一台を「Park-O-Meter No. 1」という名称で紹介しています。

また『Oklahoma Historical Society』によれば、ほかにも14ブロックに175台のパーキングメーターが設置・試験されました。

ただ、この新発明に異を唱える者もいました。パーキングメーター設置の反対派は、コイン式駐車を「車に対する新しい税金のようなもの」と捉えていたためです。

一方で、商店主たちはパーキングメーターの設置を大歓迎しました。実際に車の回転が良くなり、買い物客が店の近くに停めやすくなったためです。

ドライバーからすれば「迷惑な徴収機」かもしれませんが、結果として、商店街に客を呼び戻すための都市再生ツールとして機能したことを考えれば、パーキングメーターの発明は成功だったといえるでしょう。

良心的な価格と、高額な罰金

さて、その気になる初期のパーキングメーターの駐車料金ですが、1時間でわずか5セントというものでした。これは2026年5月時点の日本円に換算すると約190円で、現在の駐車料金と比較すると非常に良心的といえます。

それでも、当時の人々からすれば、駐車するだけでお金を取られるようになるのですから、反発が生まれるのも仕方のないことかもしれませんね。

さらに興味深いのは、良心的な駐車料金とは裏腹に、違反した際の罰金が非常に高額であったということです。その額はなんと20ドルで、これは現在の日本円に換算すると約7万7,000円になります。つまり、5セントの罰金を払わなければ、400倍の罰金を支払うことになったのです。

この差を見ると、パーキングメーターの目的が単なる収益ではなく、本気で長時間駐車を抑制することにあったと伺えるでしょう。

ちなみに、パーキングメーターの違反切符を切られた第1号は、C・H・ノース牧師という人物だとされています。彼は小銭を作るために急いで店に駆け込みましたが、戻ってきたときには違反切符が置いてありました。ただ、ノース牧師はこの取り締まりに納得がいかず、メーター会社を相手に裁判を起こした結果、駐車違反の罰金を免除されました。

そのため、世界で初めて駐車違反の罰金を実際に支払ったのは、オクラホマ州クリントンから来ていたR・H・アヴァントという別の一般男性だとされています。

あっという間に全米に普及

オクラホマシティで効果が確認されたことで、パーキングメーターは急速に全米に普及していきました。『HISTORY』によれば、1940年代初頭には、アメリカ国内で14万台のパーキングメーターが稼働していたとされています。

特に大きな効果があったのは、以下の3つです。

  • オクラホマシティ中心部の駐車問題を改善したこと
  • メーター料金と罰金によって市の収入を生んだこと
  • 中心街の商業不動産の評価額上昇を促したこと

つまりパーキングメーターは、単なる機械ではなく、交通政策・商業政策・都市財政を同時に動かした装置となったのです。

まとめ

  • パーキングメーターが発明された背景は、商店街の駐車スペースが占有されてしまっていたから
  • パーキングメーターの発案者はカール・C・マギー
  • 1935年7月16日に世界最初のパーキングメーターが設置された
  • 初期のパーキングメーターの駐車料金は5セント、罰金は20ドル
  • パーキングメーターは、交通政策・商業政策・都市財政を同時に動かす影響を与えた

道路沿いや敷地などの駐車スペースは、誰かが長時間使えば他の人が使えません。そこで、限られた都市空間を、時間という単位で分配する仕組みが出来上がりました。これこそがパーキングメーターの本質なのです。

駐車場とは、車を置く場所であると同時に、”都市の時間を管理する場所”であるともいえますね。

それでは次回の雑学調査レポートもお楽しみに!

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