キムチと聞くと、多くの人は「辛い」「酸っぱい」「発酵食品」といったイメージを思い浮かべるかもしれません。
たしかにキムチは、時間とともに味が変わっていく生きた食品です。ところが、その特徴が思いがけない場所で大きな課題になったことがあります。
第41回雑学調査レポートでは、そんな「キムチ」に関する雑学をご紹介していきます。
発酵食品なのに、宇宙では発酵し続けられなかった
キムチといえば、白菜や大根などの野菜を塩漬けにし、唐辛子、にんにく、しょうが、魚介の塩辛などと一緒に漬け込んで作る韓国の代表的な発酵食品です。
キムチのおいしさを作っている大きな要素のひとつが、乳酸菌です。乳酸菌が野菜の糖を利用して発酵を進めることで、酸味やうま味が生まれます。冷蔵庫に入れていても、時間が経つと酸っぱさが強くなるのは、キムチが「生きた食品」として変化し続けているためです。
ところが、この「生きている」という特徴は、宇宙へ持っていくと問題になります。
宇宙船や国際宇宙ステーションは、地球の台所とはまったく違う閉ざされた環境です。食べ物から汁が飛び散ったり、袋が破れたり、微生物が予想外に増えたりすると、乗組員の健康や機器の安全に関わります。地球ではありがたい乳酸菌も、宇宙食としては慎重に扱う必要がありました。
そのため、キムチを宇宙へ持っていくには、ただパック詰めするだけでは足りませんでした。キムチらしい味や食感を残しながら、宇宙で安全に食べられるようにする必要があったのです。
韓国初の宇宙飛行士のために開発された「宇宙キムチ」
2008年、韓国初の宇宙飛行士となったイ・ソヨン氏は、ロシアのソユーズ宇宙船で国際宇宙ステーションへ向かいました。韓国政府の公式サイト『Korea.net』によると、イ氏は国際宇宙ステーションのミッションに参加し、11日間の宇宙滞在中に科学実験を行いました。
この歴史的なミッションに合わせて、韓国では宇宙で食べられる韓国料理の開発が進められました。その中に含まれていたのが、キムチです。
ただし、宇宙へ行ったキムチは、家庭で食べるキムチとは違いました。普通のキムチは発酵が進みますが、宇宙食用のキムチは、発酵を進める微生物を抑え、安全性を高める処理が施されました。
『AFP』によると、韓国の研究機関は、宇宙ミッション用に「細菌のいないキムチ」を開発し、ロシア側の宇宙当局から承認を受けたと報じられています。
ここで興味深いのは、キムチが宇宙へ行くために、キムチらしさの中心である「発酵」を止める方向で研究されたということです。
発酵食品であるキムチを宇宙食にするには、「発酵しているからよい」ではなく、「発酵食品らしい味を残しつつ、宇宙では発酵が進みすぎないようにする」という逆転の発想が必要でした。
宇宙キムチはガンマ線で処理された
宇宙キムチの研究では、ガンマ線照射という方法が使われました。
2009年に学術誌『Advances in Space Research』に掲載された研究では、そのまま食べられる宇宙食用キムチを作るために、乳酸カルシウムとビタミンCの添加、軽い加熱、急速冷凍、そして25キロ・グレイ(kGy)のガンマ線照射が行われたと説明されています。
ガンマ線照射と聞くと驚くかもしれませんが、これは食品の殺菌や保存性向上のために研究・利用される方法のひとつです。宇宙食では、長期間保存できること、食中毒の原因になる微生物を抑えること、限られた環境でも安全に食べられることが重要になります。

研究では、25キロ・グレイの照射を受けた宇宙キムチが、37℃で30日間置かれても無菌状態であることが確認されました。また、味やにおい、食感などの官能評価も、未処理のキムチに近い状態を保っていたと報告されています。
つまり、宇宙キムチは「ただ殺菌したキムチ」ではありませんでした。
殺菌を強くすれば安全性は高まりますが、野菜がやわらかくなりすぎたり、香りが変わったり、キムチらしい食感が失われたりするおそれがあります。研究者たちは、安全性とおいしさの両方を成立させるために、処理方法を組み合わせて調整しました。
キムチを宇宙へ持っていくためには、料理というより、食品科学の精密な実験が必要だったのです。
宇宙キムチの難しさは「におい」だけではなかった
キムチを宇宙へ持っていくと聞くと、特に「においが大丈夫なのか」と考えるかもしれません。
たしかに、キムチはにんにくや唐辛子、発酵による独特の香りがあります。宇宙ステーションのような密閉空間では、強いにおいは周囲の乗組員にも影響します。
しかし、宇宙キムチの本当の難しさは、においだけではありません。
第一に、微生物の問題があります。キムチは発酵食品であるため、乳酸菌などの微生物が関係しています。地球上では体に有益な働きをする微生物でも、宇宙という特殊な環境では慎重に扱う必要があります。
第二に、保存性の問題があります。宇宙食は、打ち上げ前の準備期間、輸送、保管、実際の食事まで、長い時間を安全に保たなければなりません。普通のキムチのように発酵が進み続けると、袋が膨らんだり、味が変わりすぎたりする可能性があります。
第三に、汁気の問題があります。無重力に近い環境では、液体は下に落ちるのではなく、球状になって漂います。キムチの汁が飛び散れば、機器に付着する危険があります。そのため、宇宙食は食べやすさ、こぼれにくさ、包装の安全性も考えなければなりません。
第四に、食感の問題があります。キムチはシャキシャキとした野菜の食感も魅力です。殺菌や加熱を強くしすぎると、この食感が失われます。研究では、宇宙キムチの硬さが未処理のキムチよりは低くなったものの、単純にガンマ線照射しただけのキムチよりは食感が保たれていたと報告されています。
宇宙キムチは、においを抑えるだけの食品ではありませんでした。発酵、細菌、保存、包装、食感、味という複数の条件を同時に満たす必要があったのです。
韓国料理を宇宙で食べることには文化的な意味もあった
宇宙食は、栄養を摂るためだけのものではありません。
長期間、狭い空間で生活する宇宙飛行士にとって、食事は気分を支える大切な時間です。自分の国の料理や、なじみのある味を食べることは、精神的な安心感にもつながります。
キムチは韓国の食文化を象徴する食品です。韓国の食卓では、主菜というよりも、毎日の食事に寄り添う基本的なおかずとして親しまれています。ご飯、汁物、肉料理、麺料理など、さまざまな料理と一緒に食べられます。
そのキムチを宇宙へ持っていくことは、単に「珍しい宇宙食を作った」という話ではありません。韓国初の宇宙飛行士が、自国の味を国際宇宙ステーションへ持ち込んだという文化的な出来事でもありました。
『The Korea Times』によれば、イ氏は国際宇宙ステーションで同僚にキムチ、蒸しご飯、コチュジャンなどをふるまう予定だと報じています。宇宙食としてのキムチは、科学技術の成果であると同時に、韓国料理を宇宙で共有するための食文化のメッセージでもありました。
宇宙では、食事が国際交流の場にもなります。ロシア、アメリカ、日本、ヨーロッパなど、さまざまな国の宇宙飛行士が同じステーションで生活します。その中で、自国の料理を紹介し、仲間と食べることは、地球上の食卓と同じように人と人をつなぐのです。
まとめ
- キムチは乳酸菌によって発酵が進む食品
- キムチを宇宙に持っていくため、発酵を進める微生物を抑え、安全性を高めた、細菌のいない「宇宙キムチ」が開発された
- 宇宙キムチを作るため、栄養素の追加、軽い加熱、急速冷凍のほか、ガンマ線照射が行われた
- 宇宙キムチを実現するための主な課題、「微生物」「保存性」「汁気」「食感」
- 韓国料理を宇宙で食べることは、人と人をつなぐ食文化のメッセージでもあった
普段食べているものの中にも、環境が変わればまったく違う課題を持つ食品があります。
キムチが宇宙食になるまでの道のりは、そのことをわかりやすく示していると言えるでしょう。
身近な食べ物にも、まだ知られていない面白い雑学が眠っているのかもしれません。
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参考文献
- Korea.net「Korea’s first astronaut reminisces about historic space trip」
- The Korea Times「Korean Food to Be Served in Space」
- Space-Travel.com / AFP「All systems go for SKorea’s space-ready kimchi」
- ResearchGate / Advances in Space Research「Korean space food development: Ready-to-eat Kimchi, a traditional Korean fermented vegetable, sterilized with high-dose gamma radiation」
- PMC「Long-Term Space Nutrition: A Scoping Review」

