みなさん、こんにちは!
日本人の主食である「米」は、当たり前のように私たちの食卓に毎日並びます。しかし、その一粒一粒には、約9000年にわたる人間との不思議な関係が刻まれています。
第14回雑学調査レポートでは、そんな「米」に関する雑学をご紹介していきます。
早速見ていきましょう。
野生のイネは、米粒が自然に落ちる
米はイネ(稲)という植物から生まれる作物で、稲穂に多くの米粒が実った写真を見かけたことも、一度はあるのではないでしょうか。しかし実は、元々のイネの特性はそうではありませんでした。
野生のイネは、実が熟すと穂からポロポロと自然に落ちていくのです。この性質を「脱粒性」と呼びます。
植物にとって脱粒性は、種を地面にばらまいて子孫を残すことができる便利な仕組みです。しかし、これは人間にとって大きな問題でした。なぜなら、収穫前に米が地面に落ちてしまうと、集めるのが非常に難しくなってしまうためです。
とはいえ改良を行うにしても、古代から難しい遺伝子の知識は持ち合わせていませんでした。そこで人々は、毎年の収穫の中で「粒が穂に残っていて収穫しやすいイネ」を自然に選んでいたと考えられています。
そして、そこで収穫したイネから種を取り、次の年に撒くということを行ったのです。この行為を何世代も繰り返すことによって、米粒が落ちにくい性質を持つイネが少しずつ増えていきました。
数千年をかけた栽培化
米を収穫しやすくするためのイネの改良については、実際に考古学的な証拠もあります。
たとえば、中国の長江下流域の湖西遺跡では、約9000~8400年前のイネの痕跡が見つかっています。
この研究では、イネの「小穂基部(しょうすいきぶ)」という部分が調べられました。これは米粒が穂についていた付け根の部分を指します。小穂基部を見ることによって、米粒が自然に落ちた野生のイネなのか、人間の収穫によって米粒が外れたものなのか、ある程度判断することができるのです。
その結果、湖西遺跡では野生型のイネが約60%、中間型のイネが約30%、栽培型のイネが約10%ということが分かりました。このことから、当時のイネはまだ完全な栽培イネではなく、野生と栽培が混ざった状態だったと考えられます。
そして湖西遺跡のほかにも、長江下流域には複数の遺跡があり、脱粒しにくいイネやジャポニカ米に近い特徴が確認されています。
つまり、米の栽培化は突然起きたのではありません。数千年という長い時間をかけて、少しずつ”人間に収穫されやすい植物”に変化していったということです。
イネは人間に依存するようになった
人間の観点で考えれば、米粒が穂から落ちにくくなったことで、収穫が楽になって生産性が上がったといえるでしょう。
しかし、植物の観点で考えると、種が自然に落ちるという非常に重要な機能が失われたことになります。その結果、イネは自然界において自分たちで広がりにくい植物となりました。
つまり栽培イネは、人間が収穫し、保存し、種を撒いてくれることに依存する植物になったといえるでしょう。
まとめ
- 野生のイネは米粒が自然に落ちていく
- 人間が米粒の落ちにくい穂を選別することで、イネの性質を変化させていった
- イネの栽培化は数千年をかけて行われた
- 栽培化によって、イネは自分たちで広がりにくい植物となった
米はただ人間に食べられてきたわけではありません。私たちの暮らしに寄り添う形へ、長い時間をかけて姿を変えてきてくれたのです。
こうした変化があったことで、毎日白いご飯を当然のように食べることができるのですから、米に対しても常に感謝の気持ちを忘れずにいたいものですね。
それでは次回の雑学調査レポートもお楽しみに!
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