広い海を自由に泳ぐクジラには、私たちの想像以上に奥深い生態があります。研究が進むにつれて、これまで知られていなかった行動も少しずつ明らかになってきました。
第138回雑学調査レポートでは、そんな「クジラ」に関する雑学をご紹介していきます。
ザトウクジラは決まったパターンの「歌」を歌う
ザトウクジラは、さまざまな音を出して仲間とコミュニケーションを取る動物です。そのなかでも特に変わっているのが、オスが発する「歌」と呼ばれる音です。
ここでいう歌は、単純な鳴き声ではありません。いくつもの音が決まった順番で並び、それを何度も繰り返す、とても複雑な構造を持っています。
ザトウクジラの歌は、小さな音から順番に組み立てられます。
まず、一つひとつの音を「ユニット」と呼びます。複数のユニットが決まった順番に並ぶと「フレーズ」になり、同じようなフレーズを繰り返すことで「テーマ」が作られます。そして、複数のテーマを一定の順番で歌うことで、1つの「歌」になります。

人間の音楽に例えるなら、一つひとつの音が集まって短いメロディーになり、複数のパートがつながって1曲が完成するようなイメージです。
現在の研究では、このような歌を歌うのはオスとされています。特に繁殖海域でよく確認されるため、繁殖行動に関係する音だと考えられています。
ただし、「なぜ歌うのか」という詳しい目的については、まだ研究が続いています。メスへのアピールに使われる可能性や、オス同士の関係に関係する可能性などが考えられています。
『NOAA National Marine Sanctuaries』によると、同じ繁殖海域にいるオスたちは、その時期に共通する歌を歌います。つまり、それぞれが好き勝手な歌を歌っているのではなく、同じ集団のオスたちが似た歌を共有しているのです。
同じ歌をずっと歌うわけではない
ザトウクジラの歌には、さらに不思議な特徴があります。
それは、歌の内容が時間とともに変化することです。
ある集団のオスたちは同じ時期に似た歌を歌いますが、その歌が何年もまったく同じ状態で残るわけではありません。音の種類や並び方、テーマなどが少しずつ変わり、その変化が集団内に広がっていきます。
そのため、同じ地域のザトウクジラでも、ある年に歌われていた歌と数年前の歌を比べると、内容が変わっていることがあります。
こうした変化には、大きく分けて2つのタイプがあります。
1つは、それまでの歌を残しながら、少しずつ内容を変えていくタイプです。研究では「evolution(エボリューション)」と呼ばれています。
もう1つは、これまで歌っていたものとは大きく異なる新しい歌へ、急速に切り替わるタイプです。こちらは「revolution(レボリューション)」と呼ばれます。
簡単にいえば、「少しずつアレンジされていく歌」と「突然登場して、それまでの歌と入れ替わる新曲」のような違いです。
そして重要なのは、この変化が1頭だけで起こるわけではないことです。
新しい歌のパターンが広まると、同じ集団の多くのオスがその新しい形に合わせていきます。ザトウクジラには、人間の音楽でいう「今みんなが歌っている曲」に似た現象があるのです。
新しい歌は南太平洋を西から東へ広がっていた
ザトウクジラの歌が「流行歌」のようだといわれる大きな理由は、新しい歌が1つの集団だけにとどまらず、別の集団へ広がることにあります。
2011年に科学誌『Current Biology』で発表された研究では、南太平洋に生息するザトウクジラの歌が11年間にわたって調べられました。
研究の対象となったのは、東オーストラリア、ニューカレドニア、トンガ、アメリカ領サモア、クック諸島、フランス領ポリネシアなど、南太平洋の複数の集団です。
調査の結果、研究期間中に11種類の異なる歌が確認されました。
そして多くの場合、新しい歌は東オーストラリアで確認されたあと、ニューカレドニア、トンガなどを経由しながら、さらに東側の地域へ広がっていました。最終的にはフランス領ポリネシアまで同じタイプの歌が伝わるケースも確認されています。
しかも、いきなり数千キロメートル離れた場所まで飛び越えるように伝わったわけではありません。
西側の集団から、その隣にいる集団へ。その集団から、さらに東側の集団へというように、段階的に広がる傾向が確認されました。
『The University of Queensland』の研究紹介によると、歌が調査地域を横断するまでには、通常およそ2年かかっていました。
人間社会に置き換えるなら、ある地域で流行した曲が近くの地域へ広まり、そこからさらに遠くの地域へ伝わっていくような現象です。
もちろん、1頭のクジラの声が海の向こうまで直接届き、数千キロメートル離れたクジラがそれを聞いたという意味ではありません。
クジラの移動や集団同士の接触などによって、歌がクジラからクジラへ段階的に伝わったと考えられています。
難しい「新曲」でもかなり正確に覚えている
歌が別の集団へ伝わるとき、「一部分だけ似た音になるのではないか」と考えるかもしれません。
ところが、ザトウクジラは新しい歌の細かな構造まで、かなり正確に共有していることが分かっています。
2022年に『Scientific Reports』で発表された研究では、東オーストラリアからニューカレドニアへ伝わった6種類の歌が詳しく分析されました。
研究者たちは、東オーストラリアで2009年から2014年、ニューカレドニアで2010年から2015年に記録された歌を比較しています。東オーストラリアで確認された歌が、その後ニューカレドニアでも確認されるという関係を利用した研究です。
分析されたのは、単に「似た声かどうか」だけではありません。
歌のなかに含まれる音の総数、音の種類、歌の長さ、テーマの数、フレーズの長さ、各テーマの複雑さなど、さまざまな特徴が比較されました。
その結果、ニューカレドニアのクジラが歌っていた歌は、東オーストラリアの歌と細かな部分までよく似ていました。
元の歌が複雑な場合でも、伝わる過程で単純な歌に大きく作り替えられていたわけではありません。歌全体の複雑さや、それぞれのテーマの相対的な複雑さもおおむね保たれていました。
つまり、特徴的な音を数個まねしている程度ではなく、複数の音をどのような順番で並べるのか、テーマをどう組み立てるのかといった複雑なパターンまで共有していると考えられます。
すべてが完全なコピーになるわけではない
ただし、別の集団へ伝わった歌が、元の歌と100%同じになるわけではありません。
2022年の研究では、調査した6種類の歌から合計40のテーマが確認されました。
そのうち29のテーマは、東オーストラリアとニューカレドニアの両方で確認されています。一方、残る11のテーマは、どちらか片方の集団だけで記録されました。
ただし、片方の集団だけに存在するテーマが歌われる割合は低く、研究では歌全体として高い類似性が保たれていると判断されています。
これは人間が曲を覚える場合にも少し似ています。
同じ曲を覚えていても、細かな歌い方やアレンジには違いが生まれることがあります。それでも、曲全体を聞けば同じ曲だと分かります。
ザトウクジラの歌でも、それぞれの集団で細かな違いが生まれながら、歌全体の特徴はかなり正確に引き継がれているのです。
もっとも、研究者がクジラの隣で「今、新しい歌を覚えた」という瞬間を直接観察したわけではありません。
離れた集団で同じ歌の細かな構造まで共有されていることから、ほかの個体が出す歌を聞くことで学んでいると考えられています。
離れた集団の歌をどこで聞いているのか
ここで1つ疑問が生まれます。
東オーストラリアとニューカレドニアのように、普段は別々の繁殖海域を利用するクジラが、いったいどこで相手の歌を聞いているのでしょうか。
候補として考えられているのが、移動ルートと採餌海域です。
ザトウクジラの多くは季節に合わせて大規模な回遊を行います。暖かい繁殖海域と、餌が豊富な高緯度の採餌海域の間を長距離移動します。
別々の繁殖海域を利用している集団でも、移動する途中の海域や採餌海域が重なれば、異なる集団の個体が近づく機会が生まれます。
2022年の研究でも、共有する採餌海域や移動ルート上でクジラ同士が音を聞ける距離まで近づくことが、歌の伝達に関係している可能性が指摘されています。
歌が繁殖海域だけで歌われているわけではないことも、この考えを支える材料の1つです。
『NOAA National Marine Sanctuaries』によると、約50年間にわたる水中録音の研究から、オスのザトウクジラは繁殖海域だけでなく、採餌海域や、繁殖海域と採餌海域の間を移動している最中にも歌うことが分かっています。
つまり、繁殖地では出会わないクジラ同士でも、別の場所で相手の歌を聞いている可能性があります。
ただし、「このクジラが、この場所で、この個体から歌を覚えた」というところまで追跡できているわけではありません。
野生のザトウクジラは広大な海を移動します。そのため、何か月、何年にもわたって同じ個体を追い続け、歌を覚える瞬間まで記録するのは簡単ではありません。
そこで研究者たちは、各地で録音した歌の内容や、歌が現れる時期、クジラの移動経路などを比較しながら、どのように歌が伝わるのかを調べています。
なぜザトウクジラの歌を「文化」と呼ぶのか
ザトウクジラの歌に関する研究では、「文化」や「文化的伝達」という言葉が使われます。
ここでいう文化は、美術、文学、音楽といった人間社会だけの文化を意味するものではありません。
動物行動学では、ある行動や情報が遺伝だけによって受け継がれるのではなく、ほかの個体を観察したり、音を聞いたりすることで学習され、集団内に広がる現象も文化研究の対象になります。
このような学び方を「社会的学習」と呼びます。
ザトウクジラの歌には、この社会的学習を示すと考えられる特徴がいくつもあります。
同じ集団のオスが同じ時期の歌を共有し、その歌が少しずつ変化します。さらに南太平洋では、大きく異なる新しい歌が現れ、その歌が別の集団へ次々と広がる現象も確認されました。
2011年の研究では、このように歌が同じ世代の個体や集団の間を広がっていく現象を「水平的な文化伝達」の大規模な例として報告しています。
親から子へ一方向に受け継がれるだけではなく、別の個体や集団から新しい情報を学び、それがさらに次の個体へ伝わっていくということです。
南太平洋のザトウクジラでは、その伝達が1つの集団の中だけで終わりませんでした。
新しい歌は集団から集団へ渡り、広大な海を越えて東へ広がっていました。そして伝わった先でも、多くのオスが同じ歌を共有していました。
人間社会で新しい曲や音楽のスタイルが人から人へ広がっていくのと仕組みは同じではありませんが、「ほかの個体から学んだものが集団で共有され、さらに別の集団へ伝わる」という点ではよく似ています。
目には見えない歌がクジラからクジラへ受け継がれ、ときには形を変えながら、何千キロメートルもの海を越えて広がっているのです。
まとめ
- ザトウクジラのオスは、複数の音やフレーズを組み合わせた複雑な「歌」を歌う
- 同じ集団のオスは共通する歌を共有し、その内容は時間とともに変化していく
- ザトウクジラの歌には、少しずつ変わる場合と、まったく新しい歌へ急速に置き換わる場合がある
- 南太平洋では、新しい歌が東オーストラリアから東方向へ、集団から集団へ段階的に広がる現象が確認された
- 研究期間中には11種類の異なる歌が確認され、遠く離れたフランス領ポリネシアまで伝わった例もあった
- ザトウクジラは、複雑な歌でも全体の構造や特徴を高い精度で共有している
- 異なる集団のクジラは、移動ルートや採餌海域などでほかの集団の歌を聞いている可能性がある
- 歌が社会的学習によって個体や集団の間に広がることから、ザトウクジラの歌は「文化的伝達」の例として研究されている
海を越えて広がっていくザトウクジラの歌は、クジラたちが単に鳴き声を発しているだけではないことを教えてくれます。
普段見ることのできない海の中では、今この瞬間にも新しい歌が仲間へと伝わっているのかもしれません。
参考文献
- Scientific Reports「Song complexity is maintained during inter-population cultural transmission of humpback whale songs」
- Current Biology「Dynamic Horizontal Cultural Transmission of Humpback Whale Song at the Ocean Basin Scale」
- NOAA National Marine Sanctuaries「Unraveling Mysteries of Humpback Whale Song at Olympic Coast National Marine Sanctuary」
- The University of Queensland「Humpback whales spread songs across the Pacific」

