写真で笑う習慣は昔からではなかった!?【カメラの前で1時間以上待つことも】

古い肖像写真を見ていると、ある共通点に気づきます。

きちんとした服を着て、姿勢を正し、まっすぐカメラを見つめる人々。その多くは口を閉じ、ほとんど笑っていません。

現代の写真とは大きく異なるこの表情には、どのような意味があったのでしょうか。

第86回雑学調査レポートでは、そんな「写真」に関する雑学をご紹介していきます。

目次

昔の人が不幸だったからではない

19世紀から20世紀初頭の肖像写真には、口を閉じ、真剣な表情でカメラを見ている人が多く写っています。

現代では、写真を撮るときに笑顔を作ることが一般的です。そのため、古い写真を見ると、「昔の人は生活が苦しく、笑う余裕がなかったのではないか」と感じるかもしれません。

しかし、写真に写った表情だけで、その人が幸福だったか不幸だったかを判断することはできません。

昔の肖像写真に笑顔が少ない背景には、主に次のような事情がありました。

  • 初期のカメラは露光時間が長かった
  • 撮影中の動きを防ぐ器具が使われていた
  • 肖像写真が正式な自己表現の手段だった
  • 感情を抑えた表情が品位や自制心を示していた
  • 大きな笑顔が正式な場に合わないと考えられていた

ただし、ここでいう「昔の写真」とは、主に欧米の写真館で撮影された正式な肖像写真を指します。

写真に写る表情は、地域、時代、社会階級、撮影目的によって異なります。したがって、すべての古い写真に同じ説明が当てはまるわけではありません。

初期のカメラでは笑顔を保つのが難しかった

写真の初期に広く使われた技術の一つが、1839年にフランスで公開されたダゲレオタイプです。

ダゲレオタイプは、表面を銀で覆った銅板に像を直接記録する方法でした。1枚の銅板に一つの像を作る仕組みだったため、同じ写真をそのまま複製することはできません。

公開されたばかりの頃は、撮影に非常に長い時間が必要でした。

メトロポリタン美術館の解説によると、明るい夏の日差しの下でも、露光時間は4分半から11分ほどかかりました。光の弱い冬には、1時間以上必要になる場合もあったとされています。

数分間にわたって同じ笑顔を保ち、まったく動かずにいることは簡単ではありません

笑顔を作ると、口元、頬、目の周りの筋肉が動きます。露光中に顔が動けば、輪郭がぼやけたり、表情が不自然に写ったりする可能性がありました。

そのため、口を閉じ、顔の筋肉をできるだけ動かさない表情のほうが、撮影に失敗しにくかったのです。

初期の写真に真剣な表情が多い理由の一つは、そうした表情が当時の撮影技術に適していたためだと考えられます。

写真館では体を固定する器具も使われていた

19世紀の写真館では、撮影される人が動かないように、椅子、机、手すりなどを使って姿勢を安定させていました。

頭や首の後ろを支えるヘッドレストが使われることもありました。こうした器具は、撮影中の小さな動きを防ぎ、写真を鮮明に仕上げるためのものです。

しかし、頭や体を支えられ、決められた方向を見続ける状況では、自然な笑顔を作るのは難しくなります。撮影される人が緊張し、表情が硬くなることもあったと考えられます。

特に難しかったのが、子どもの撮影です。

子どもの注意を引いたり、落ち着かせたりするために、おもちゃ、積み木、オルゴール、お菓子などが使われました。体を動かさないように、専用の椅子や台を使用する場合もあります。

少しでも露光時間を短くするため、強い光の下で撮影することもありました。

このような環境では、大人でもくつろぐのは難しかったでしょう。子どもに動かず自然な笑顔を保ってもらうことは、さらに困難だったと考えられます。

露光時間が短くなっても真剣な表情は残った

「昔の写真に笑顔が少ないのは、露光時間が長かったから」という説明は、完全な間違いではありません。

ただし、露光時間だけですべてを説明することはできません。

ダゲレオタイプが公開されると、薬品、レンズ、照明、撮影方法などの改良が急速に進みました。

メトロポリタン美術館の資料では、公開から数か月のうちに、条件によっては露光時間を数分から数秒に短縮できる技術が登場したと説明されています。

そのため、1840年代には、初期のように数分から1時間も動かずにいる必要はなくなりつつありました。

それでも、写真館で撮影される正式な肖像では、真剣な表情が長く使われ続けます。

技術が進歩しても笑顔がすぐに標準にならなかったことから、表情の違いには、撮影技術以外の理由もあったことが分かります。

肖像写真は正式な自己紹介のようなものだった

19世紀の肖像写真は、現代の日常的なスナップ写真とは目的が異なっていました。

現在では、スマートフォンなどを使って何枚でも簡単に写真を撮れます。失敗しても、その場ですぐに撮り直すことが可能です。

一方、19世紀の写真撮影は、写真館へ出向き、服装や髪形を整え、料金を支払って行う特別な行為でした。

撮影された写真は、次のような目的で使われました。

  • 自分や家族の姿を記録する
  • 遠くに住む家族や友人へ送る
  • 結婚や出征などの節目に交換する
  • 子どもや孫などの子孫に残す
  • 社会的な立場や職業を示す

メトロポリタン美術館の資料によると、ダゲレオタイプの普及によって、それまで正式な肖像画を持つことが難しかった労働者なども、自分の肖像を残せるようになりました。

当時の肖像写真は、楽しい一瞬だけを記録するものではありません。その人がどのような人物であるかを家族や社会に示す、正式な自己紹介のような役割を持っていました。

そのため、一時的な楽しさを示す大きな笑顔よりも、落ち着きや責任感を感じさせる表情が選ばれやすかったのです。

落ち着いた表情は品位や自制心を示していた

写真が登場する以前の正式な肖像画でも、王族、貴族、政治家、富裕層などは、落ち着いた表情で描かれることが多くありました。

初期の肖像写真は、こうした肖像画の伝統を受け継いでいます。

姿勢を整え、正面または斜め前を向き、感情を強く表に出さないことが、正式な肖像にふさわしい表現と考えられていました。

特に19世紀の西欧社会では、公的な場で感情を大きく表すよりも、落ち着きや自制心を示すことが重視される傾向にありました。

真剣な表情は、冷静さ、知性、責任感、社会的な安定性などを示す表現として使われていたのです。

ルートヴィヒ美術館の資料では、当時の社会において、感情は私的な領域に属するものと考えられていたと説明されています。

特に男性にとって真剣な表情は、冷静で自制心があり、社会を支える人物として自分を示す手段の一つでした。

ただし、微笑みが完全に避けられていたわけではありません。

口元にわずかな笑みを浮かべた肖像写真も残っています。当時、正式な肖像にふさわしくないと考えられやすかったのは、笑顔そのものではなく、感情を大きく表した表情でした。

歯の状態だけが原因ではない

古い写真に笑顔が少ない理由として、「歯を見せたくなかったから」という説明もよく知られています。

現代ほど歯科医療や予防歯科が発達していなかったため、虫歯、歯の欠損、変色などに悩む人は、現在より多かった可能性があります。

そのため、歯の状態を気にして口を閉じた人がいたことは否定できません。

しかし、歯の状態だけを、古い写真に笑顔が少ない主な理由と考えるのは難しいでしょう。

歯を見せなくても笑顔は作れるからです。口を閉じたまま口角を上げたり、頬や目元を動かしたりすれば、笑っている表情になります。

ところが、19世紀の正式な肖像写真では、単に歯を隠しているだけではなく、顔全体の感情表現を抑えている例が多く見られます。

また、20世紀に入って笑顔の写真が増え始めた時期にも、人々の歯の状態が急に改善したわけではありません。

『History Nebraska』は、歯を見せない笑顔も可能であることなどから、歯の状態を主な原因とする説の根拠は比較的弱いと説明しています。

歯の状態が一部の人の表情に影響した可能性はあります。しかし、古い肖像写真全体の傾向を説明する中心的な理由とはいえません。

大きな笑顔は正式な肖像に向かないと考えられていた

現代では、歯を見せた笑顔は、幸福、親しみやすさ、明るさなどを示す表情として受け取られることが多くあります。

しかし、過去の西洋美術や肖像表現では、大きく口を開けた笑いや、感情を強く表した顔が、必ずしも望ましいものとは考えられていませんでした。

中世から近世の美術では、大笑いする人物が、悪魔、愚者、道化、酔った人などとして描かれる例があります。

16世紀から17世紀の風俗画でも、飲食をしながら大声で笑う人物が、社会的な規範から外れた存在として描かれることがありました。

一方、控えめな微笑みは、礼儀正しさや友好的な態度を示す表情として受け入れられる場合もあります。

つまり、笑顔そのものが禁止されていたわけではありません。笑い方や肖像の目的によって、表情が持つ意味が異なっていたのです。

正式な肖像で大きな笑顔を見せると、軽率、未熟、品位に欠けると受け取られる可能性がありました。

そのため、自分の社会的な立場や人格を後世に残す写真では、楽しさよりも、落ち着きや自制心を感じさせる表情が選ばれました。

昔の人も私的な写真では笑っていた

19世紀の人が、写真でまったく笑わなかったわけではありません。

家族や友人のために撮影された私的な写真、子どもの写真、舞台俳優の写真などには、笑顔や楽しそうな表情も残っています。

したがって、「昔の人は写真で笑わなかった」と表現するのは正確ではありません。

昔の正式な肖像写真では、大きな笑顔を選ばない人が多かった」と考えるほうが、実際の状況に近いでしょう。

撮影時間、撮影場所、写真の目的、見る人との関係が変われば、選ばれる表情も変わります。

カメラの大衆化によって日常の笑顔が写されるようになった

19世紀末から20世紀にかけて、写真を取り巻く環境は大きく変化しました。

1888年、ジョージ・イーストマンはロールフィルム式のカメラを発売しました。1890年代以降、写真撮影は専門の写真家だけが行うものではなくなり、一般の人々にも広がっていきます。

小型で扱いやすいカメラが普及すると、写真は写真館で撮影する正式な肖像だけではなくなりました。

旅行、休日、誕生日、食事、遊び、家族の集まりなど、日常の出来事も撮影されるようになります。

撮影者が写真館の専門家ではなく、家族や友人であれば、撮影される人も緊張しにくくなります。

厳密に姿勢を整える必要もなくなり、笑顔、大笑い、ふざけた表情などを残しやすくなりました。

ルートヴィヒ美術館の資料では、家族や友人という親しい関係の中で撮影される写真が増えたことで、家族アルバムにも笑顔や笑いの写真が増えたと説明されています。

映画や広告が笑顔の見本を広めた

無声映画の普及も、写真に写る表情を変えた要因の一つです。

無声映画では、せりふに頼らずに感情や物語を伝える必要がありました。そのため、俳優は顔や体を大きく動かし、喜び、悲しみ、怒り、驚きなどを表現しました。

顔を大きく映すクローズアップが使われるようになると、観客は俳優の表情を間近で見るようになります。

これにより、表情そのものが重要な視覚表現として意識されるようになりました。

雑誌や広告も、笑顔の普及に影響を与えました。

商品を使う楽しさや幸福感を伝えるため、広告には俳優やモデルの明るい笑顔が多く使われます。

カメラを販売する企業も、写真撮影を休日、旅行、家族、幸福な生活などと結び付けて宣伝しました。

人々は映画や広告を通して、「写真に写るときには楽しそうに笑う」という見本を繰り返し目にするようになったのです。

写真雑誌や広告を研究したクリスティーナ・コチェミドヴァは、写真産業が笑顔を大衆写真の標準的な表情として広めるうえで、大きな役割を果たしたと論じています。

笑顔は20世紀前半に急速に広がった

写真に写る人の笑顔は、20世紀前半から次第に大きくなっていきました。

写真文化を研究したアンドレ・ガンテールは、1930年代から1950年代にかけて、感情を抑える文化から、感情を積極的に見せる文化への移行が進んだと説明しています。

映画、雑誌、広告、報道写真、家庭用カメラなどが互いに影響し、笑顔の肖像が新しい社会的な規範として定着していきました。

アメリカの高校の卒業アルバムに掲載された約3万8,000枚の肖像写真を分析した研究でも、20世紀を通じて笑顔が大きくなったことが確認されています。

この研究では、1905年から2013年までの卒業アルバムを調査し、口角の上がり方を数値化しました。その結果、特に20世紀前半に笑顔の強さが大きく変化していたと報告されています。

第二次世界大戦後には、笑顔は親しみやすさや社会への参加を示す表情として、欧米の写真文化に広く定着しました。

1950年代までには、日常的な写真では笑うことが自然だと考えられる場面も増えていきます。

「写真を撮るときは笑う」という習慣は比較的新しい

写真を撮るときに使われる「Say cheese」という英語表現の正確な起源には、複数の説があります。

1910年代のアメリカで使われ始めたという説や、1920年代のイギリスの学校で使われていたという説があり、最初の使用例を一つに断定することはできません。

ただし、20世紀の大衆写真文化の中で、「Say cheese」は歯を見せた笑顔を作るための合図として広く定着しました。

戦後の映画スター、広告モデル、幸福そうな家族の写真も、歯を見せて笑う表情の普及を後押ししました。

現在では自然に感じられる「写真を撮るときは笑う」という習慣は、人類に昔から共通していた決まりではありません

写真技術、社会的な価値観、映画、広告、大衆消費文化が影響し合うことで生まれた、比較的新しい習慣です。

現代でも写真の目的によって表情は変わる

笑顔が写真の標準的な表情となった現代でも、すべての写真で笑うわけではありません。

パスポートや身分証明書など、本人確認に使う写真では、顔の形や目、鼻、口などを確認しやすくするため、表情を大きく変えないことが求められます。

高級ファッションの写真では、笑顔を抑えることで、落ち着き、緊張感、強さ、地位、洗練された雰囲気などを表現することがあります。

企業経営者、政治家、研究者、芸術家などの公式写真でも、職業や発信したい印象に応じて、穏やかな微笑みと真剣な表情が使い分けられています。

写真に写る表情は、単なる気分の記録ではありません。

撮影の目的、見る相手、社会的な立場、その時代に理想とされる人物像などを考えて選ばれます

昔の正式な肖像写真に真剣な表情が多いのも、現代の日常写真に笑顔が多いのも、カメラの前に立った人が、その場にふさわしいと考えた表情を選んだ結果なのです。

まとめ

  • 古い写真に笑顔が少ないのは、昔の人が不幸だったからではない
  • 長い露光時間は一因だが、それだけでは真剣な表情が長く続いた理由を説明できない
  • 19世紀の肖像写真は、日常の記録ではなく、自分の立場や人格を示す正式な自己表現だった
  • 感情を抑えた表情は、当時の社会で品位、自制心、知性、責任感を示していた
  • 歯の状態が影響した人はいても、古い写真全体に笑顔が少ない主な原因とはいえない
  • 当時は大きな笑顔が、正式な肖像には軽率で品位に欠ける表情と受け取られることがあった
  • 昔の人も私的な写真では笑っており、笑顔そのものが避けられていたわけではない
  • 家庭用カメラの普及によって、旅行や家族の集まりなど日常の笑顔が撮影されるようになった
  • 映画や広告は、「写真に写るときは笑う」という新しい表情の見本を広めた
  • 写真で笑う習慣は昔からのものではなく、20世紀に広く定着した比較的新しい文化である
  • 写真の表情は気分だけでなく、撮影目的、見る相手、社会的立場、時代の価値観によって選ばれる

きちんとした服を着て、姿勢を正し、まっすぐカメラを見つめる人々――。

その真剣な表情は、笑うことを知らなかった人の顔ではありません。当時の写真にふさわしいと考えられた姿を、意識して残したものです。

古い肖像写真に感じていた違和感は、昔の人々の感情ではなく、現代とは異なる写真の常識から生まれていたのかもしれません。

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