タイムカプセルはもともと「時限爆弾」だった!?【5000年後を見据えた保存計画】

今ではすっかり身近な言葉となった「タイムカプセル」。手紙や写真を入れて未来まで保管するもの、というイメージは広く知られていますが、その歴史について詳しく知る機会は意外と少ないものです。

第149回雑学調査レポートでは、そんな「タイムカプセル」に関する雑学をご紹介していきます。

目次

タイムカプセルという言葉が生まれる前から、未来へ記録を残す発想はあった

タイムカプセルと聞くと、学校の卒業記念や施設の周年行事などで、手紙や写真、思い出の品を箱に入れて地中へ埋めるものを思い浮かべる人が多いでしょう。数年後や数十年後に掘り出し、当時の自分たちが残した物を見るという使い方がよく知られています。

しかし、「未来の人へ今の時代の記録を残す」という発想は、「time capsule」という言葉が広く使われるようになる前から存在していました。

代表的な例が、アメリカの『Oglethorpe University』にある「Crypt of Civilization(クリプト・オブ・シヴィライゼーション)」です。

この計画を考えたのは、当時『Oglethorpe University』の学長だったソーンウェル・ジェイコブズです。ジェイコブズは古代文明について調べるなかで、当時の人々がどのように暮らしていたのかを詳しく知るための記録が十分に残っていないことに注目しました。

そこで、自分たちが生きている20世紀の文明については、できるだけ多くの情報を未来へ残そうと考えます。1935年ごろから計画を進め、1936年にはその構想が広く紹介されました。

「Crypt of Civilization」は、小さな箱ではありません。ひとつの部屋そのものを巨大な保存空間として使っています。

内部には書籍、ニュース映像、録音資料、日用品など、その時代を知るためのさまざまな物が集められました。そして1940年5月28日に封印されています。

開ける予定日は、西暦8113年5月28日です。

つまり、20世紀の人々が自分たちの文明を6000年以上先の未来へ伝えようとした計画になります。

現在では「Crypt of Civilization」もタイムカプセルの一種として紹介されています。ただし、この計画が始まった時点では、「time capsule」という言葉はまだ一般的な名称として定着していませんでした。

未来へ記録を残すという考えが先にあり、その後に「タイムカプセル」という呼び名が広まったのです。

「タイムカプセル」という名前は1939年ニューヨーク万博をきっかけに広まった

現在使われている「time capsule」という言葉を広めた人物として知られているのが、ジョージ・エドワード・ペンドレーです。

ペンドレーは1930年代後半、『Westinghouse Electric & Manufacturing Company』の広報に関わっていました。

当時、同社は1939年に開催されるニューヨーク万博への参加を予定していました。この万博のテーマは「The World of Tomorrow」です。日本語にすれば、「明日の世界」や「未来の世界」といった意味になります。

未来をテーマにした万博に合わせて、ペンドレーたちは1930年代の文明を象徴する物や情報を容器へ入れ、非常に遠い未来まで保存する計画を進めました。

ここで興味深いのが、ペンドレーが最初から「time capsule」という名前を使っていたわけではないことです。

1953年に『The New Yorker』が掲載した記事によると、ペンドレーは計画を考えた当初、この容器を「time bomb」と呼んでいました。

「time bomb」は一般的には「時限爆弾」という意味です。しかし、この計画で本物の爆発物を作ろうとしていたわけではありません。

ペンドレー自身が後年、最初に考えたときには「time bomb」と呼んでいたという趣旨の説明をしています。

ところが、計画を正式に発表する段階になると、「bomb」という言葉は名称として好ましくないと考えられました。そこで別の名前を探すことになります。

「vessel」「container」「can」など、容器を意味する多くの単語が候補として検討され、そのなかから選ばれたのが「capsule」でした。

こうして「time capsule」という名前が生まれます。

そのため、「タイムカプセルの正式名称が最初はタイムボムだった」と説明すると、少し意味が変わってしまいます。

より正確には、「計画の初期段階で、ペンドレーがタイムボムと呼んでいた」と考えると分かりやすいでしょう。

この名称は、1938年の埋設や、その後の1939年ニューヨーク万博を通じて広く知られるようになりました。

現在では「タイムカプセル」という言葉そのものが、未来へ物や情報を残す容器を表す一般的な名称になっています。

1939年ニューヨーク万博のタイムカプセルは6939年に開ける予定

『Westinghouse Electric & Manufacturing Company』が作ったタイムカプセルは、1939年ニューヨーク万博のための企画でした。

ただし、実際に地下へ入れられたのは万博が始まる前年です。

埋設日は1938年9月23日でした。

場所は、ニューヨークのフラッシング・メドウズに設けられた万博会場です。カプセルは深さ50フィート、約15メートルの穴へ入れられました。

カプセルの形も、学校行事などで使われる一般的な箱型のタイムカプセルとは大きく違います。

長さは7フィート6インチ、約2.3メートルです。直径は8と8分の3インチで、約21センチあります。

つまり、細長い筒のような形をした大型の容器でした。

外側には「Cupaloy(キューパロイ)」と名付けられた特殊な合金が使われています。

『Library of Congress』によると、「Cupaloy」は銅99.4%、クロム0.5%、銀0.1%で作られています。

何千年もの間地中に置くことを想定し、腐食しにくく、十分な強度を持たせることが目的でした。

内部には「Pyrex(パイレックス)」ガラスを使った空間が設けられています。内部の空気を抜き、代わりに窒素を入れることで、中に収めた物の劣化をできるだけ抑えようとしました。

そして、このタイムカプセルには驚くほど遠い開封予定日が設定されています。

西暦6939年です。

「5000年後に開けるタイムカプセル」として紹介されることがありますが、ここには少し注意が必要です。

カプセルが地下へ入れられたのは1938年です。そのため、「1938年から5000年後が6939年」という計算ではありません。

6939年は、1939年ニューヨーク万博の年から5000年後として設定された年です。

1939年に5000年を足すと6939年になりますが、実際の埋設作業は前年の1938年9月に行われました。

カプセルの表面には、1938年9月23日にニューヨーク万博会場へ置かれたことも記されています。

さらに、6939年より前に発見した場合には、むやみに動かさず、未来の人々のためにそのまま守ってほしいという趣旨の文章も刻まれました。

2026年から見ても、予定されている開封まで4913年あります。

一般的なタイムカプセルのように、作った本人や子ども、孫の世代が開けることを想定したものではありません。

5000年という非常に長い時間のなかで、社会や文明そのものが大きく変化することまで考えた計画でした。

中身は宝物ではなく、カメラやタバコなど当時の日常品が中心

5000年間保存するタイムカプセルと聞くと、非常に高価な宝石や美術品、歴史的な重要資料などが入っているように感じるかもしれません。

しかし、『Westinghouse Electric & Manufacturing Company』のタイムカプセルでは、「1930年代の人々がどのような生活をしていたのか」を未来へ伝えることが重視されました。

そのため、当時では特に珍しくなかった日用品も数多く入れられています。

『Bureau International des Expositions』によると、収蔵品は100点を超えています。

たとえば、35mmカメラ、安全カミソリ、子どものおもちゃ、紙幣、硬貨、タバコなどです。

さらに、小麦、トウモロコシ、綿花などの種も保存されました。

1940年の『TIME』では、女性用の帽子、缶切り、万年筆、鉛筆、タバコ用品、カメラ、眼鏡、歯ブラシ、化粧品なども紹介されています。

現代の感覚では、「5000年間も保存する必要があるのだろうか」と感じる物も含まれています。

しかし、歴史を研究するときには、こうした普通の日用品が大切な資料になることがあります。

たとえば、5000年後の人が1930年代の歯ブラシを見れば、当時の人々がどのような道具で歯を磨いていたのかが分かります。

カメラを見れば、写真を撮影するためにどのような機械が使われていたのかを知る手掛かりになります。

紙幣や硬貨からは、当時のお金のデザインや社会制度を調べることもできるでしょう。

これは、現代の生活を未来へ残す場合でも同じです。

最新型のスマートフォンやコンピューターだけを保存しても、21世紀の暮らしを完全には伝えられません。

レシート、ボールペン、食品の容器、衣類、日用品のパッケージなど、現在ではありふれている物も、遠い未来では貴重な資料になる可能性があります。

タイムカプセルでは、「その時代で最も高価な物」だけではなく、「その時代では普通だった物」を残すことにも大きな意味があるのです。

5000年後には英語が読めないかもしれないと考えられていた

このタイムカプセルには、日用品だけでなく大量の情報も保存されました。

『Library of Congress』によると、内部にはマイクロフィルムが収められ、およそ2万2000ページ分に相当する文章や画像が記録されています。

内容は、当時の産業、科学技術、交通、文化、出版物など幅広い分野に及びます。

20世紀前半の社会を未来へ伝えるため、できるだけ多くの情報を小さな空間へ収めようとしたのです。

しかし、5000年後まで情報を残そうとすると、ある大きな問題が発生します。

未来の人が、その文章を読めるとは限らないことです。

現在でも、数百年前に書かれた文章は、現代の文章と表現や単語が大きく異なる場合があります。

それが5000年後となれば、1930年代の英語そのものが使われなくなっている可能性も考えられます。

そこで作られたのが、タイムカプセルの内容や使い方を説明する「The Book of Record of the Time Capsule of Cupaloy」です。

この記録書には、「A Key to the English Language」という資料が収録されました。

作成したのは、当時『Smithsonian Institution』に所属していた言語学者ジョン・P・ハリントンです。

目的は、未来の人が20世紀の英語を知らなくても、英語を読み解く手掛かりを得られるようにすることでした。

『Smithsonian Institution』が所蔵する1938年版の記録書でも、「A Key to the English Language」と、それに続く英語の基本的な語彙についての項目を確認できます。

つまり、未来へ英語の文章を残すだけではなく、「英語そのものを読む方法」まで一緒に残そうとしていたのです。

マイクロフィルムだけでなく、読むための器具まで保存された

タイムカプセルでは、記録媒体そのものを保存するだけでは十分ではないと考えられていました。

たとえば、マイクロフィルムが5000年後まで残ったとしても、それを見るための装置がなければ内容を確認できません。

そこで、タイムカプセルにはマイクロフィルムを拡大して読むための器具も収められました。

映像についても同じ問題があります。

フィルムだけが残っていても、未来の人が再生方法を知らなければ映像を見ることはできません。そのため、必要な機械を再現するための写真や説明なども用意されました。

これは、現代のデジタルデータでも起こり得る問題です。

現在では写真や文章、動画などをUSBメモリやSSD、クラウドサービスなどへ簡単に保存できます。

しかし、データそのものが残っていても、数百年後に現在と同じUSB端子が使われているとは限りません。

現在のファイル形式に対応するソフトウェアが残っているとも限らず、記録媒体そのものを接続できない可能性もあります。

身近な例では、かつて広く使われていたフロッピーディスクを読み取れるパソコンは、現在ではかなり少なくなっています。

わずか数十年でも、情報を保存する技術は大きく変わります。

1930年代のタイムカプセルでは、すでに「情報そのものだけでなく、情報を読み取る方法も一緒に残す必要がある」という問題が考えられていました。

5000年先へ情報を伝える計画だからこそ、読む方法や再生する方法まで保存しようとしたのです。

5000年後まで存在を忘れられないよう「記録の本」も作られた

タイムカプセルを5000年間壊れないように保存できたとしても、それだけで計画が成功するわけではありません。

カプセルが完全な状態で地下に残っていても、未来の人が存在を知らなければ掘り出されないからです。

さらに、タイムカプセルがあることだけが伝わっていても、正確な場所が分からなければ見つけられません。

そこで『Westinghouse Electric & Manufacturing Company』は、「The Book of Record of the Time Capsule of Cupaloy」という記録書を作りました。

この本には、タイムカプセルを作った目的、収蔵品の内容、容器の構造、埋設場所などが詳しく記録されています。

さらに、未来の人が英語を理解するための資料も収録されました。

埋設場所についても、単純に住所だけを書いたわけではありません。

緯度や経度などの情報を残し、将来地形や測量方法が変わった場合まで考えています。地下に埋められた金属を探す方法についても説明が用意されました。

5000年後には、現在の道路や建物がそのまま残っているとは限りません。そのため、「この建物の近く」といった説明だけでは場所を伝えられない可能性があります。

長い時間を越えて位置を伝えるため、複数の方法で情報を残そうとしたのです。

記録書は世界各地へ配り、一冊だけに情報を頼らなかった

「The Book of Record of the Time Capsule of Cupaloy」で特に興味深いのが、記録書を一か所だけに保存しなかったことです。

どれほど詳しい本を作っても、一冊しか存在しなければ、火災や災害、戦争、建物の取り壊しなどによって失われる可能性があります。

そこで記録書は、世界各地の図書館、博物館、宗教施設などへ配布されました。

一部の本が失われても、別の地域に残った本からタイムカプセルの存在や場所を知ることができるようにするためです。

現在確認できる資料では、配布数について異なる数字が紹介されています。

『Bureau International des Expositions』は約5000部、『Library of Congress』は約3000部としています。

一方、1953年の『The New Yorker』の記事では、世界各地にある図書館、博物館、宗教施設など約500か所へ送られたという説明があります。

資料によって数字が異なるため、正確な配布数をひとつに決めるのは難しいものの、重要なのは記録を世界各地へ分散させた点です。

ひとつの場所や一冊の本だけに頼らず、同じ情報を複数の場所へ残すことで、5000年後まで情報が伝わる可能性を高めようとしました。

さらに記録書では、将来言語が変化した場合には、その時代の新しい言語へ翻訳しながら情報を残してほしいという考えも示されています。

つまり、1938年に本を作って終わりではありません。

未来の人々にも情報を引き継いでもらいながら、6939年までタイムカプセルの存在を伝えていくことが想定されていました。

5000年間の保存では、頑丈な容器を作るだけでは足りません。

「カプセルがあることを忘れない」「場所を伝え続ける」「いつ開けるのかを伝える」「中にある情報を読めるようにする」という複数の問題があります。

1938年のタイムカプセル計画では、カプセル本体と記録書を組み合わせることで、それらの問題に対応しようとしていたのです。

まとめ

  • 「未来の人へ今の時代の記録を残す」という発想は、「time capsule」という言葉が広まる前から存在していた
  • 『Oglethorpe University』の「Crypt of Civilization」は1940年に封印され、西暦8113年に開封される予定
  • 「time capsule」という言葉を広めた人物として知られるのが、ジョージ・エドワード・ペンドレー
  • ペンドレーは計画の初期段階でタイムカプセルを「time bomb」と呼んでいた
  • 『Westinghouse Electric & Manufacturing Company』のタイムカプセルは1938年に埋設され、6939年に開封される予定
  • タイムカプセルにはカメラやカミソリ、タバコ、硬貨、種など、1930年代の日常を伝える物が収められた
  • 約2万2000ページ分の情報を収めたマイクロフィルムも保存されている
  • 5000年後に英語が読めなくなる可能性を考え、英語を解読するための「A Key to the English Language」も用意された
  • マイクロフィルムだけでなく、それを読むための器具や機械を再現するための説明も残された
  • タイムカプセルの存在や場所を5000年後まで伝えるため、「The Book of Record of the Time Capsule of Cupaloy」が作られた
  • 記録書は世界各地の図書館や博物館などへ分散して配布され、情報が失われるリスクを減らす工夫がされた

身近な存在であるタイムカプセルですが、その名前の由来や、5000年先まで情報を残そうとした工夫を知ると、単なる「未来へ物を残す箱」とは少し違って見えてきます。

何気なく使っている言葉や習慣にも、調べてみると意外な歴史が隠れているものです。

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