もし誰かに嘘をつくとしたら、あなたは何を覚えておく必要があるでしょうか。
本当の出来事、作った話、相手に伝えた内容、そして次に同じ話を聞かれたときの答え――こう考えると、嘘はかなり手間のかかる行為だとわかります。
第54回雑学調査レポートでは、そんな「嘘」に関する雑学をご紹介していきます。
嘘はその場限りの言葉ではない
嘘というと、多くの人は「相手をだますための言葉」だと考えます。たしかに、嘘は相手に事実と違うことを信じさせるために使われます。しかし、心理学の研究では、嘘は相手だけでなく、嘘をついた本人の記憶にも影響することがあると考えられています。
ここで面白いのは、嘘をついた人が「嘘の内容を覚えているかどうか」だけが問題ではない点です。研究で注目されているのは、嘘をついたあとに、もともとの本当の記憶まで弱くなったり、「誰に何を言ったか」が混乱したりすることです。
つまり、嘘は口から出た瞬間に終わるものではなく、そのあと本人の記憶の中でじわじわと影響を残す可能性があるのです。
研究で分けられる三つの嘘
嘘の研究では、嘘を大きく三つのタイプに分けて考えることがあります。
一つ目は「否認」です。これは、本当は見たもの、本当はやったこと、本当は知っていることを「知らない」「見ていない」「やっていない」と否定する嘘です。
二つ目は「記憶喪失のふり」です。本当は覚えているのに、「覚えていない」と言う嘘です。単なる否認に似ていますが、「その出来事はなかった」と言うのではなく、「覚えていない」と言う点が違います。
三つ目は「作り話」です。実際にはなかった出来事や細部を、あったかのように話す嘘です。たとえば、本当は買っていない商品を「買いました」と言ったり、会っていない人に「会いました」と言ったりするようなものです。
この三つは、どれも「事実と違うことを言う」という意味では同じです。しかし、脳にかかる負担は同じではありません。単に否定するだけの嘘よりも、もっともらしい作り話をする嘘のほうが、一般的には多くの情報処理を必要とします。

「否定するだけ」でも記憶が弱くなることがある
特に興味深いのが、「否認誘発忘却」と呼ばれる現象です。英語では Denial-Induced Forgetting と呼ばれ、略して DIF と表記されます。
これは、実際には見たことや経験したことを「見ていない」「知らない」と否定したあと、その出来事に関する記憶が弱くなることがある、という現象です。
たとえば、ある映像を見た人が、あとでその内容について質問され、「その場面は見ていません」と嘘をついたとします。すると後日、その人は本当にその場面の記憶を思い出しにくくなる場合があります。
これは、単に「嘘をついたことを忘れる」という話ではありません。本当は経験したはずの内容そのものが、思い出しにくくなる可能性があるという点が重要です。
もちろん、嘘をつけば必ず記憶が消えるわけではありません。研究によって結果に違いがあり、条件によって影響の強さも変わります。それでも、「否定するだけなら簡単だから記憶には影響しない」とは言い切れないところが、この雑学の面白い点です。
なぜ嘘で記憶が混乱するのか
嘘をつくとき、人はただ事実と違う言葉を口にしているだけではありません。
まず、本当の記憶が頭に浮かびます。そのうえで、それをそのまま言わないように抑えます。さらに、相手に不自然だと思われないように、別の答えを選びます。作り話をする場合は、矛盾しない内容を組み立てる必要もあります。
このように、嘘をつく行為には複数の作業が同時に含まれます。心理学では、こうした頭の作業量を「認知的負荷」と呼びます。
認知的負荷が大きくなると、人は情報を正確に覚えたり、あとで正しく取り出したりする余裕が少なくなります。そのため、嘘をついた内容だけでなく、もともとの出来事や「誰に何を言ったか」という情報まで混乱しやすくなると考えられています。
「誰に嘘をついたか」も忘れやすい
嘘で乱れるのは、出来事の記憶だけではありません。「誰にその話をしたか」という記憶も影響を受けることがあります。
たとえば、Aさんには「買った」と言い、Bさんには「買っていない」と言い、Cさんには別の説明をしたとします。この場合、嘘をついた本人は、あとで「誰にどの説明をしたのか」を整理し続けなければなりません。
ところが、嘘が増えるほど、この管理は難しくなります。研究では、嘘をついた人が「何について嘘をついたか」だけでなく、「誰に対して嘘をついたか」も忘れやすくなる可能性が示されています。
日常生活でよく言われる「嘘をつくなら、ついた嘘を覚えていなければならない」という言葉は、心理学的にもかなり的を射ていると言えます。

日常生活を模した実験でも調べられている
嘘と記憶の研究では、単語リストや映像を使う実験だけでなく、より日常に近い場面を使った実験も行われています。
たとえば、買い物をする場面を模した実験では、参加者が買い物リストに関する質問を受けます。そのとき、参加者は正直に答える人と、嘘をつく人に分けられます。その後、参加者がどの商品について何と答えたか、誰に答えたか、元の記憶をどの程度保っているかが調べられます。
こうした研究では、嘘が多くなるほど記憶の混乱が増える可能性が示されています。特に、単純に否定するだけでなく、否定と作り話が混ざるような状況では、本人が自分の発言を正確に覚えにくくなることがあります。
これは現実の会話にも近い状況です。日常の嘘は、きれいに一種類だけでできているとは限りません。「そこには行っていない」と否定しながら、「別の場所にいた」と作り話を足すこともあります。このような嘘は、記憶にとってかなり扱いにくい情報になるのです。
自分が関わった嘘ほど記憶に影響しやすい可能性
2024年に発表された研究では、嘘をつく人の立場によって、記憶への影響が変わる可能性も調べられました。
この研究では、参加者を「自分が実際に行動した人」と「他人の行動を見ていた人」に分け、正直に答える場合と嘘をつく場合を比較しました。その結果、嘘は記憶を弱める方向に働きましたが、特に自分自身が関わった出来事について嘘をついた場合のほうが、記憶への影響が大きい可能性が示されました。
これは直感的にも理解しやすい話です。自分が実際にした行動について嘘をつくと、見たもの、触れたもの、選んだもの、移動した場所など、多くの情報を抑えたり言い換えたりしなければなりません。他人の行動について嘘をつく場合よりも、本人の記憶と嘘の内容が強くぶつかるため、頭の中で混乱が起きやすいと考えられます。
嘘をつく人は「嘘の記憶」を信じ込むのか
「嘘をつき続けると、自分でも本当だと思い込む」という話はよくあります。ただし、これを単純に「嘘をつけば必ず信じ込む」と考えるのは正確ではありません。
研究で示されているのは、嘘によって記憶や信念が変化する場合があるということです。たとえば、作り話を何度もすると、その作り話が頭の中で思い出しやすくなり、本当にあったことのように感じられることがあります。一方で、すべての嘘が本物の記憶に変わるわけではありません。
記憶は録画データのように保存されているものではありません。思い出すたびに、そのときの状況、感情、言葉、他人からの質問などの影響を受けます。そのため、自分で作った話であっても、何度も語るうちに記憶の中で存在感を増すことがあるのです。
法律や証言の場で重要になる理由
この雑学は、日常の人間関係だけでなく、法律や証言の場でも重要です。
事件の目撃者や関係者が、ある時点で嘘をついた場合、その後の証言がどの程度正確なのかを慎重に考える必要があります。嘘をついた人が悪意を持って話を変えている場合もありますが、それだけではありません。嘘をついた結果として、本人の記憶そのものが不安定になっている可能性もあります。
特に、「何を見たか」「誰に話したか」「どの質問にどう答えたか」といった細部は、嘘による影響を受けやすい領域です。そのため、取り調べや聞き取りでは、相手を強く誘導したり、何度も同じ内容を否定させたりすることが、記憶の正確さに影響する可能性があります。
まとめ
- 嘘は相手をだますだけでなく、嘘をついた本人の記憶にも影響することがある
- 本当は経験したことを否定すると、その記憶自体が思い出しにくくなる場合がある
- 嘘には「否認」「記憶喪失のふり」「作り話」などの種類がある
- 作り話をする嘘は、事実を抑えながら別の内容を作るため、脳への負担が大きい
- 嘘をつくと、本当の出来事だけでなく「誰に何を言ったか」も混乱しやすくなる
- 嘘が増えるほど、発言内容や相手ごとの説明を管理するのが難しくなる
- 自分が実際に関わった出来事について嘘をつくと、記憶への影響が大きくなる可能性がある
- 嘘を何度も話すと、作り話が本当にあったことのように感じられる場合がある
- 記憶は録画のように保存されるものではなく、思い出すたびに変化する
嘘をつくには、想像力が必要です。
しかし、それ以上に必要なのは記憶力かもしれません。本当のこと、作ったこと、誰に何を言ったか――そのすべてを覚えておかなければ、嘘はどこかでほころびます。
そう考えると、嘘をつかないことは、誠実であるだけでなく、頭の中をシンプルに保つ方法でもあるのです。
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参考文献
- Frontiers in Psychology「Research on the Effects of Lying on Memory: A Scientometric Analysis and a Call for New Studies」
- Frontiers in Psychology「More Lies Lead to More Memory Impairments in Daily Life」
- Frontiers in Psychology「Involvement Modulates the Effects of Deception on Memory in Daily Life」
- BMC Psychology / Springer Nature「The effects of deception on memory: a comparative study of actors and eyewitnesses accounts」

