サッカーのイエローカードとレッドカードは、言葉の壁から生まれた!?【国際大会で大混乱】

サッカーには、世界中の人が一瞬で理解できる場面がいくつもあります。ボールがゴールネットを揺らせば得点だと分かり、審判が笛を吹けば何かが止まったと分かります。

では、あの色のついたカードは、いつからサッカーに欠かせない存在になったのでしょうか。

第48回雑学調査レポートでは、そんな「サッカー」に関する雑学をご紹介していきます。

カードがなかった時代のサッカー

今のサッカーでは、審判が黄色いカードを出せば「警告」、赤いカードを出せば「退場」だと、選手も観客もすぐに分かります。

ところが、昔のサッカーにはイエローカードもレッドカードもありませんでした

もちろん、反則をした選手を注意したり、悪質なプレーをした選手を退場させたりする制度自体はありました。しかし、それを伝える方法は、審判の言葉や身振りに頼っていました。

これは、国内リーグならまだ大きな問題になりにくいかもしれません。審判と選手が同じ言語を話すことが多いからです。

しかし、ワールドカップのような国際大会では事情が違います。

審判、選手、監督、観客、実況者が、それぞれ違う言語を使います。審判が何かを言っても、選手が理解できないことがあります。逆に、選手が抗議しても、審判が内容を理解できないこともあります。

つまり、昔のサッカーでは「今、何の判定が下されたのか」が、当事者にも観客にもはっきり伝わらないことがあったのです。

きっかけは1966年ワールドカップの大混乱

イエローカードとレッドカード誕生の大きなきっかけになったのは、1966年のFIFAワールドカップ・イングランド大会です。

問題が起きたのは、準々決勝のイングランド対アルゼンチン戦でした。

この試合の主審は、西ドイツのルドルフ・クライトラインでした。アルゼンチン代表のキャプテンは、アントニオ・ラティンという選手です。

試合は非常に荒れた展開になり、前半35分、クライトライン主審はラティンを退場処分にしました。

しかし、ここで大きな問題が起こります。

クライトライン主審はスペイン語を話せず、ラティンはドイツ語を話せませんでした。そのため、退場を命じた審判と、退場を命じられた選手が、言葉で意思疎通できなかったのです。

ラティンはすぐにはピッチを去らず、しばらく主審に抗議しました。観客や実況者も、何が起きているのかを完全には理解できませんでした。

今なら、主審がレッドカードを掲げた瞬間に「退場だ」と分かります。しかし当時は、そのような視覚的な合図がありませんでした。

この混乱が、サッカーの歴史を大きく変えることになります。

審判員が気づいた「色で伝える」という発想

この試合を見ていた人物の一人に、イングランド人審判員のケン・アストンがいました。

アストンは当時、FIFAの審判委員会に関わる重要な立場にいました。彼は、1962年ワールドカップのチリ対イタリア戦、「サンティアゴの戦い」と呼ばれる荒れた試合でも主審を務めた経験がありました。

つまりアストンは、国際試合で審判の意思を伝えることがどれほど難しいかを、実体験として知っていた人物でした。

1966年のイングランド対アルゼンチン戦の混乱を見たアストンは、審判の判定をもっと分かりやすく伝える方法が必要だと考えました。

その答えは、意外な場所でひらめきました。

ロンドンを移動していたとき、アストンは信号機を見ました。

黄色は「注意」、赤は「止まれ」という表示です。

この仕組みなら、英語が分からなくても、ドイツ語が分からなくても、スペイン語が分からなくても意味が伝わります。

そこでアストンは、サッカーの判定にも同じ考え方を使えるのではないかと考えました。

黄色のカードは「警告」、赤いカードは「退場」です。

言葉ではなく、色で伝える――これが、イエローカードとレッドカードの原点です。

1970年ワールドカップでカード制度が登場

このアイデアは、1966年の次のワールドカップである1970年メキシコ大会で導入されました。ここで初めて、審判は黄色と赤のカードを使って、警告や退場を分かりやすく示せるようになりました。

カードの優れているところは、非常に単純なことです。

長い説明はいりません。通訳もいりません。スタジアムの遠くの席からでも、テレビの画面越しでも、何が起きたのかが分かります。

審判が黄色いカードを出せば、「この選手は警告を受けた」と分かりますし、赤いカードを出せば、「この選手は退場になった」と分かります。

サッカーは世界中で行われるスポーツです。だからこそ、言語に頼らない合図はとても重要でした。

イエローカードとレッドカードは、単なる罰の道具ではありません。それは、審判の判定を全員に同時に伝えるための「共通言語」だったのです。

現在のルールでの黄色と赤の意味

現在のサッカー競技規則でも、黄色と赤の意味は明確に定められています。

イエローカードは警告を示します。

たとえば、無謀なタックル、相手の攻撃を不正に止める行為、審判への異議、プレー再開を遅らせる行為、反スポーツ的行為などが警告の対象になります。

レッドカードは退場を示します。

たとえば、著しく不正なプレー、暴力行為、相手の決定的な得点機会を不正に阻止する行為、侮辱的な発言や行動などが退場の対象になります。

また、同じ試合で同じ人物が2枚のイエローカードを受けると、結果としてレッドカードが出され、退場になります。

現代の競技規則では、選手だけでなく、交代要員、交代して退いた選手、チーム役員にもイエローカードやレッドカードが示される場合があります。

つまり、カードはピッチ上の選手だけのものではなく、チーム全体の行動を管理するための仕組みになっています。

「カード」は小さいが、試合への影響は大きい

イエローカードとレッドカードは、ただの小さな色付きのカードです。しかし、試合に与える影響は非常に大きいです。

イエローカードを受けた選手は、その後のプレーが慎重になります。次に警告を受ければ退場になるからです。

守備の選手であれば、強く当たりに行きにくくなります。中盤の選手であれば、相手のカウンターを止めるためのファウルをしにくくなります。

つまり、イエローカードは「その場の警告」であると同時に、「その後のプレーの選択肢を狭めるもの」でもあります。

一方、レッドカードは試合の流れを一気に変えます。

退場者を出したチームは、基本的に人数が一人少ない状態で戦わなければなりません。サッカーでは、11人対11人のバランスが非常に重要です。たった一人の差でも、守備の穴が増え、攻撃の人数が足りなくなり、走る距離も増えます。

そのため、レッドカードは単なる個人への処分ではなく、チーム全体に重くのしかかる判定になります。

ワールドカップ初のレッドカードは1974年

カード制度は1970年ワールドカップで導入されましたが、ワールドカップで実際に初めてレッドカードを受けた選手は、1974年大会のカルロス・カセリです。

カセリはチリ代表の選手で、1974年6月14日の西ドイツ戦でレッドカードを受けました。

ここで少しややこしいのは、「退場処分」と「レッドカード」は同じではないという点です。カードがない時代にも、選手が退場になることはありました。

しかし、赤いカードを実際に示されて退場になったワールドカップ初の選手という意味では、カセリがその記録を持っています。

この違いを知っていると、サッカーの歴史を少し正確に見ることができます。

今ではサッカー以外にも広がった考え方

イエローカードとレッドカードの考え方は、サッカーだけにとどまりません。

現在では、ほかのスポーツでも似たようなカード制度が使われています。

また、日常会話でも「それはイエローカードだ」「完全にレッドカードだ」という表現を使うことがあります。

これは、黄色と赤色の意味がスポーツを超えて広く共有されているからです。

もともとは、サッカーの国際試合で言葉の壁をなくすために生まれた道具でした。

しかし今では、世界中の人が「注意」と「退場」を直感的に理解するための記号になっています。

まとめ

  • 昔のサッカーにはイエローカードもレッドカードもなかった
  • カードが導入されるきっかけとなったのは、1966年のワールドカップで、選手と審判の言語の違いで意思疎通ができなかったこと
  • カードの色のもとになったのは、信号機の色
  • イエローカードは「警告」、レッドカードは「退場」を表す
  • カードが試合に与える影響は非常に大きい
  • ワールドカップで初めてレッドカードを受けた選手は、1974年大会のチリ代表のカルロス・カセリ
  • 黄色と赤の意味がスポーツを超えて広く共有されているため、サッカー以外でも似たような制度や表現がある

黄色は警告、赤は退場――今では当たり前のように受け入れられているこの仕組みも、もともとは試合中の混乱をなくすために生まれたものでした。

サッカーの歴史を変えたのは、特別な技術ではなく、誰にでも分かる「色」だったのです。

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