みなさん、こんにちは!
ダーツと聞くと、バーや遊技場で気軽に楽しむゲームを思い浮かべる人が多いでしょう。
しかし、ダーツがかつて「運任せの賭け事」なのか、それとも「技術を競うスポーツ」なのかをめぐって、裁判で争われたことがあるのをご存知でしょうか。
第25回雑学調査レポートでは、そんな「ダーツ」に関する雑学をご紹介していきます。
早速見ていきましょう。
きっかけはイギリスのパブ
20世紀初頭のイギリスでは、ダーツはまだ現在のような整った競技ではなく、パブで遊ばれる庶民的なゲームでした。ただし、当時のパブでは飲酒や賭け事、遊技が結びつきやすく、当局から警戒されていました。
ダーツ史研究者のパトリック・チャップリンによれば、当時の地方当局や警察、免許判事は、パブで行われる遊びが「賭博を助長するもの」として問題視されることが多かったといいます。
そして舞台は1908年――イギリス北部リーズのカークストール・ロードの近くにあった「Adelphi Inn(アデルフィ・イン)」というパブで事件は起きました。
当時のリーズのパブでは、それまでドミノは許されていたものの、ダーツボードが置かれ始めると、地元の判事たちは「これは偶然で勝敗が決まるゲームではないか」と疑いを持ち始めたのです。
もしダーツが「運のゲーム」と判断されれば、パブで行わせることは違法と見なされる可能性がありました。
登場した名手「ビッグフット」アナキン
そこで店主は、店の常連で腕利きのプレイヤーであったウィリアム・”ビッグフット”・アナキンという人物を連れてきました。
彼は近くの鍛冶場で働いていた人物で、もともとはドミノ好きの常連でした。またチャップリンによれば、ニックネームの”ビッグフット”は、文字通り足が大きかったことに由来するとされています。
そして有名な語りとして、アナキンが法廷でダーツボードに向かい、判事から指定された数字を次々に射抜いたとされます。これによって、「ダーツは偶然ではなく、狙って当てる技術のゲームである」と証明されたのです。
ただし、この逸話は脚色されている可能性もあることに注意が必要です。たとえば「アナキンが6本連続でトリプル201に入れた」という話もありますが、当時のダーツボードにはトリプルリング2がありませんでした。
また、チャップリンによれば、1908年1月から1911年12月までのリーズ治安判事裁判所の記録は失われており、この事件を報じた同時代の新聞記事も見つかっていません。現存する重要な証言としては、1985年にアナキンの孫ジョセフが語った家族伝承があり、そこでは「判事たちが指定した数字にアナキンがダーツを入れ、技術のゲームであることを示した」とされています。
リーズのパブでダーツができるように
結果として、ダーツは「運のゲーム」ではなく「技術のゲーム」と判断され、リーズのパブで遊べるようになったとされています。ただし、あくまで賭け金や金品を伴わないことが条件でした。
また、チャップリンは、この結果がリーズにおけるダーツの普及に重要な影響を与えたものの、全国のダーツ史を一変させるような”決定的事件”とまでは言えないと、慎重に評価しています。
とはいえ、普通であれば法律上の定義や証言で争われそうな場面で、実際にダーツの名手が的を狙って当てることで、「偶然ではない」と示しました。ダーツが「理屈」ではなく「実演」で認められたという点において、この逸話は非常に魅力的と言えるかもしれません。
まとめ
- 20世紀初頭のイギリスでは、ダーツが「賭博を助長させる」「運のゲーム」として当局から警戒されていた
- ダーツの名手であるウィリアム・”ビッグフット”・アナキンが、法廷で的を射抜くことで「技術のゲーム」と証明した
- 結果としてリーズのパブでダーツが遊べるようになったが、世界的な影響を与えるほどの事件ではなかった
次にダーツを投げるときは、ただ的を狙うだけでなく、この少し変わった歴史を思い出してみてはいかがでしょうか。かつてダーツは、法廷で「偶然ではなく技術である」と証明されたと言われています。
何気ない遊びの裏に、こんな意外な物語があるのも、ダーツの面白さの一つかもしれません。
それでは次回の雑学調査レポートもお楽しみに!
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